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96麻豆原创?カフェ札幌「鹤の今昔、拝见つかまツル!古文书から読み解くツル生态~」を开催しました(后编:质问への回答)

2017.10.23

山本 晶絵(2017年度 本科/学生)

9月10日(日)、北海道大学大学院文学研究科 専門研究員の久井貴世さんをゲストにお招きし、第96回麻豆原创?カフェ札幌「鹤の今昔、拝见つかまツル!~古文书から読み解くツルの生态~」を开催しました。

(衣装替えした久井さん(右)と笔者。久井さんの罢シャツにはかわいいツルが!)

は、カフェの内容に関するご报告でした。

今回、後編では特に「质问コーナー」に焦点を当て、カフェで取り上げることのできなかった质问?コメントに対する、久井さんの答えをご紹介します。

质问コーナーの流れ

当日は、パンフレットと一绪に2枚のふせんが配布されました。

緑のふせんには「久井さんへの质问」を、オレンジのふせんには「久井さんからの质问に対するみなさんの回答」を記入します。久井さんからのお題は、「今日のお話の中で、一番印象的だったことを教えてください」というものでした。

(短い休憩時間の間に、たくさんの质问?コメントが寄せられました)

(集められたふせんは、スタッフがせっせと分类します)

いよいよ、质问コーナーが始まります!

(休憩時間が終わり、质问コーナーが始まりました!)

―质问その① 鶴は千年、亀は万年?―

?长生きのイメージはどこから?本当に长寿なのですか?

?タンチョウの平均寿命は?

?「长生きするからめでたい」という理由以外に、おめでたいものに使われる(のし袋)理由はあるのでしょうか?

?鹤は千年生きるという言い伝え(?)や、鹤=縁起物という认识はいつ顷から広まっていたのでしょうか?

?ツルはいつ顷から縁起物とされてきたのでしょうか?

 &谤补谤谤;瑞鸟(縁起の良い鸟)としてのツルのイメージは、元々は古代中国で発祥しました。広大な湿原の奥から闻えてくるツルの声の気高さから、君子や贤者のイメージで语られるようになり、それが次第に世俗を离れて生きる隠遁者のイメージへと変化しました。そして、隠遁者は神仙思想と结びつき、ツルは仙人の乗りものと考えられるようになりました。仙人とは不老不死の存在であり、仙人に従うツルもまた、仙人に近い存在であろうとのことから长寿のイメージが定着したといわれています。日本では、平安时代顷までにはツルを縁起物とするイメージが伝わったようです。现実のツルは千年も生きるはずもなく、野生のタンチョウでは20~30年程度といわれています。饲育下では40~50年生きた例もあり、80年以上长生きした记録もあるそうです。江戸时代の史料では、代々饲っているツルが300歳を超えているという记録がありますが、当然ながら、ツルも代替わりしていると思われます。

(久井さんの「鹤の品々(=ツルグッズ)」。ツルはやっぱり、「おめでたい」イメージが強いですよね)

(今回は、パンフレットもおめでたい仕様になっていました)

―质问その② 一番好きな鳥?カラスについて―

?なぜカラスの方が好きなんですか?

?カラスよりツルの姿が优雅だと思うのですが、カラスの方が好きとはなぜでしょうか?

?ツルがビジネスライクでカラスが好き(LOVE?) である一番の要因は何ですか?

 &谤补谤谤;なぜかはわかりませんが、カラスは小さい顷から好きでした。日常的に见る身近な鸟の中でも大きく、行动が目立ちやすいからでしょうか。特にカラスの目がかわいいと思っています。私にとってツルは単纯に好きというよりは、大切なパートナーあるいは仲间という认识に近いのかもしれません。それに対して、カラスはアイドル的に日顷见て楽しむという感じでしょうか。ツルとカラスでは、好きの意味合いがちょっと违うという感じです。

―质问その③ ツルの魅力について―

?ツルの魅力はどんなところですか?

?ツルのおもしろいところは何でしょうか?文献で読んだり、フィールドワークで感じたりしたことなどがあれば教えてください。

 &谤补谤谤;头のなかで想像するツルと、実际に野生のツルに会ったあとのギャップが印象的でした。初めて野生のタンチョウを见たのは、実は卒业论文を书いたあとだったのですが、それまでのツルのイメージはまさに縁起物の「鹤」で、高贵な感じがする綺丽な鸟としか思っていませんでした。ところが、実际に野生のタンチョウに出会って、まず迫力に圧倒されました。アイヌに関する资料で、ツルは强くて危険な鸟だといわれることがあるのですが、本物を见て初めてその意味を実感しました。また、确かに高贵で綺丽な鸟なのですが、喧哗もするし八つ当たりもする、ぬかるみで滑って転んだり、カラスに饵を横取りされたり&丑别濒濒颈辫;、大きな鸟なので一つ一つの行动がよく目に入りますし、高贵さというよりは、なんだか亲しみを感じました。会う度に色々な表情がみられるのが私にとっての魅力ですね。文献では、江戸时代にツルを饲っていた人の记録をみると、饲い主のあとをついて歩いたり、饵を盗み食いして怒られたり、非常に爱らしいなと思います。

?ツルがきらいになることはありませんか?(またツル&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;)

 &谤补谤谤;ツルが嫌いになることは絶対にありません。今でもツルに関する新しい史料を発见できるのは嬉しいことですし、本物のツルに会いに行くのも楽しみです。

(これも久井さんの「鹤の品々」。ポップなデザインのツルもたくさんいます……!)

―质问その④ 研究(歴史鳥類学)について―

?歴史鸟类学者って新しいですね。ご自分で考案されたんですか?

 &谤补谤谤;研究を始めた顷からの悩みは、自分の研究がどのような分野に属するのかがわからないことでした。お世话になっている先生方からいろいろなご助言をいただき、自分の研究を表现するための「歴史鸟类学」という言叶を考えてみました。自信をもって「歴史鸟类学」を语れるように、さらに研究を続けていきたいと思います。

?フィールドワーク以外でツルの生态研究ができるということにおどろきました。

?ツルの研究手法や研究内容が予想外でおもしろそうでした。

 →私も、研究を始めた当初はここまで発展できると思っていませんでした。今では、私の研究対象は史料のなかに生息するツルだという意識で研究を続けています。江戸時代に関しては、生态も含めていろいろな動物の研究を行うことが十分に可能だと思います。今後、研究仲間が増えることを熱望しています。

?理系のような文系のような面白い研究ですね。

 &谤补谤谤;理系も文系も関係なく、ツルを轴として色々な分野を横断できる研究を作っていきたいと思っています。自分では、良い意味で「隙间产业」と呼んでいます。

?「ここに资料があるかも!」という情报はどうやって得るのですか?

 &谤补谤谤;最初は手がかりがほとんどないので、全くの手当り次第です。そのため、まずは全国の都道府県立の図书馆や资料馆などを対象に调査を行いました。すでにツルの记録が确认できている地域は重点的に调査したりもしますが、あまりヤマを张ってしまうと重要な情报を见落としてしまうので、今でもできるだけ手当り次第を心がけています。

?鶴について古文书から探す際、どれくらいの割合(何冊中1冊)で目的の情報が得られますか?

 &谤补谤谤;1000ページほどもある10册、20册の资料にあたって1ページも见つからない时もあれば、ほとんど全ての资料からツルが出てくる时もあります。ただし、ズバリ欲しい情报が得られることはほとんどないので、手に入った情报を上手く整理して使っています。

?古文书を学んでいるのですが、くずし字が难しいです。古文书(くずし字)を読む际の久井さんのコツ等(こんな所に気をつけて読んでいる等)ありましたら教えて下さい。

?古文书を最初はまったく読めなかった!ということが意外でした。

 &谤补谤谤;実は今でもほとんど読めていないです&丑别濒濒颈辫;。自分で顽张って読むことができる史料だけを使っているので、本当は使いたいけど使えないような史料が手元にたくさん眠っている状态です。今后、顽张って読めるように努力していきます。ただ、とにかく「鹤」を探すことに全力を注いできたので、「鹤」を発见することだけは谁にも负けない自信はあります。

?研究を进める上で苦労したことなどがあれば、教えていただきたいです。

 &谤补谤谤;膨大な资料の収集や整理はもちろん大変でしたが、资料の収集で全国各地を回っていた际は、旅费の节约に苦労しました。お汤の出ないような安いホテルに泊まったり、二日连続で夜行バスに乗ってみたり&丑别濒濒颈辫;。今では良い思い出です。

?アイヌ民族で&濒诲辩耻辞;ツルのダンス&谤诲辩耻辞;がありますが、アイヌの踊りに関心はありますか?

 →アイヌの「鹤の舞」にも興味があります。踊りの形や、地域によっては違う鳥の名前で呼ばれていたりもするそうなので、いつか調べてみたいと思っています。

?このような研究の方法は他の分野にもいかすことはできるでしょうか?

?歴史鳥類(獣)学は科学史や生态を研究する人や環境を研究する人など多くの分野に貢献できそうですね。

 &谤补谤谤;ツル以外の鸟类、さらに鸟类以外の哺乳类や鱼类など、あらゆる生物に応用可能だと思います。过去の情报を把握することは、现代での取り组みにも必要なことですので、様々な生物の「歴史」が明らかになっていけば良いなと思います。

?今后はツルの研究をどのように进めていく予定ですか?

?今后、次の段阶であるとしたら、どちらに広がりを展开していかれるのか?(海外(中国とか):蝉辫补肠别、縄文?奈良?平安:时代、鸟种:蝉辫别肠颈别蝉)

?海外にも资料があるんですか?

 &谤补谤谤;今后は、食文化や流通などのツルと人との関わりにも力を入れていきたいですし、もっと时代を広げて、遗跡资料なども使っていきたいと思います。また、文献と併せて、理化学的な手法も取り入れてみたいです。外国语ができれば、海外の资料にも兴味はあるのですが&丑别濒濒颈辫;。やってみたいことはまだたくさんあります。

(当日は来場者の方に直接、质问を投げかけていただきました)

―质问その⑤ 同定について(このツル何のツル?)―

?古文书中の鹤の字に雨かんむりが付いているのはなぜなのでしょうか?&苍产蝉辫;

 &谤补谤谤;正确な理由はわかりませんが、史料をみていると、ほかの鸟との読み间违い?书き间违い防止の意味があったのではないかと思っています。「鶏」と「鹤」など、间违われている事例が结构多くみられます。

?頬の赤いのをどう解釈して黒鹤をナベヅルと定めたのでしょうか。もう少し详しくお闻かせください。

 &谤补谤谤;当日にお见せした史料だけでは同定は难しいのですが、実际の研究の场面では、ツルについて记述がある、あらゆる史料から総合的な分析を行っています。例えば「黒鹤」の场合では、「黒鹤」に関する様々な记述を分析し、その结果として、当时「黒鹤」と呼ばれていたツルは现在のナベヅルを指す场合が多いことを明らかにしました。これを踏まえ、例えば当日出した史料の场合では、以下のように同定作业を进めていきます。①「黒鹤」以外に记载があるツルの名称を确认する。②それぞれの特徴を手がかりにして、史料上の名称を现在の种へ比定する。③「黒鹤」には頬が赤いという特徴が书かれているが、実际に頬が赤い特徴をもつマナヅルは「真鹤」に比定しているため、「黒鹤」はマナヅルではない。④頬が赤いこと以外は、「黒鹤」の特徴はナベヅルに近い。⑤特徴が完全に一致するわけではないが、他の史料から把握した江戸时代の标準的な分类や当时の渡来状况を踏まえ、本史料の「黒鹤」をナベヅルに比定する。このように、おおまかには以上のような手顺で同定を进めています。実际には、本史料の着者が述べる「頬」が、正确にはどの部位を表わしているのかは明らかでないという难しさもありますが、ひとつの史料だけではなく、复数の史料の情报を用いながら可能な限り正确な同定を心がけています。

?江戸时代の鸟类学のレベルの高さを具体的に教えてください。

 &谤补谤谤;江戸时代の史料上の名称から、现代の种名へと比定できるだけの情报が残されていることが、レベルの高さを示していると思います。江戸时代の史料をみていると、非常に膨大かつ细かいところまで鸟类に関する情报を记録していることに惊かされます。もちろん、なかには误った情报も含まれてはいますが、ほとんどの情报は现在の科学から评価しても十分に通用する水準にあると思います。

(古文书からツルを探すのは、なかなか骨が折れる作業です……)

?ツル以外の鸟がツルとされていた事例にはどのようなものがありますか。

 &谤补谤谤;ツル以外の鸟がツルとされていた事例には、いくつかのパターンがあります。一つ目は、単纯にツルと勘违いしていた场合で、よくいわれるのはツルとコウノトリを间违ったという话ですが、史料をみているかぎりこの事例はあまり多くないように感じています。二つ目は、ツル以外の鸟を意図的にツルと书いていると思われる场合で、これは「鹤」の縁起を使いたい场合に多くみられます。例えば、何かおめでたい出来事があった际、本来は木にはとまらないツルが松の木にとまったり、树上に巣を作ったりします。本当に见间违っている可能性も皆无ではありませんが、意図的と解釈できる记述が多くみられます。叁つ目は、ツルではないことが説明されているにもかかわらず、名称に「鹤」の字が入っている场合ですが、この场合はツルの仲间ではないことが明记されていることもあります。

?ツルとコウノトリの识别についてと、松とツルの组み合わせが意図的に行われた(縁起物だから差し替えられた?)のかについてご讲义いただければと思っています。

 →江戸時代の史料では、ツルとコウノトリの生态や形態が明確に区別されており、両種が別種であることを指摘する記述もみられます。そのため、ツルとコウノトリは明確に識別されていたと認識しています。松とツルの組み合わせについては、あくまでも縁起の良いものを組み合わせた吉祥図像であるため、生物学的な正しさによって評価するべき性質のものではないと考えています。江戸時代の人々も、ツルは木にとまらないことを指摘したうえで、縁起物同士を組み合わせたのだろうと述べていました。

(はがきに描かれたツル。松竹梅や富士山など、縁起物との组み合わせが多いですね)

―质问その⑥ 分布について(ツルはどこに生息していたの?)―

?明治初期、札幌へ开拓に入った人がツルをみた!自宅の饲い猫がツルのヒナをくわえて帰ってきた!などの话をききましたが、札幌には明治初期、どのくらいの数のツルがいたのですか?教えて下さい?

 &谤补谤谤;どれくらいの数がいたのか、正确なところはわかっていないのですが、数羽が飞んでいるのを目撃した记録などもありますので、「稀に渡来する」程度の数ではなかっただろうと想像しています。空知や千歳など、札幌の周辺にもツルは生息し、繁殖もしていたようなので、周辺地域を含めた石狩低地帯で考えると、当时はツルの一大生息地だった可能性もあると思います。

?手稲にツル多し?何の文献に出てましたか?

 &谤补谤谤;玉虫左太夫の「入北记」に记述がありました。

?ツルの地図がスゴイですね!全国にいたんですね。

?かつてのタンチョウの分布がほぼ日本全国におよんでいたことが印象的でした。

?「昔からかかわりが深い」ということだったのですが、北海道に生息しているのみなのになぜ?と疑问でした。现在よりも広い范囲に昔は生息していて食用にもされていたという点が惊きでした。ありがとうございました。

?ナベヅル マナヅルか北日本にいたこと。朝鮮半島しかないと思っていました。

 &谤补谤谤;现在は北海道でも东部のみに集中しているので、私自身も、初めて史料を见たときは惊きでした。自分の住んでいる近くにも、昔はタンチョウが生息していたのかもしれない!と考えると、素敌ですよね。

?伊豆半岛つけ根に「真鹤」という地名がありますが、先ほどの分布図にはないのですが?そのあたりでよく见られていたわけではないのでしょうか?

 &谤补谤谤;この地域にツルが生息していなかったとは言い切れませんが、伊豆半岛の「真鹤」は、半岛の形がツルに似ていることに由来しているようです。地名にみられる「鹤」については、元は「水流(つる)」や「弦」などの汉字だったところが、书き换えられて鸟の「鹤」になった场合もあるそうです。

(「千歳」という地名もツルと関係があるとか&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;?)

―质问その⑦ 「獲る?贈る?食べる」について―

?タカを使ってツルを获っていたことにおどろいた。

?将军の鹰狩りのためにツルをわざわざ惯れさせるといった入念な準备がされていることが印象的でした。

?ツルを鹰狩りのために育成していた点が言われてみるとなるほどと思いました

?ツルの鹰狩り=接待ゴルフ。当时のサラリーマンも大変だなあ。

 &谤补谤谤;将军の鹰狩でツルが获れなかった、あるいは鹰狩の际に获物が见つからなかったなどという事态はあってはならないことだったので、万が一がないように入念に準备が行われていました。また、获物となるツルだけではなく、ツルを获る侧のタカの调教も大変だったようです。ツルを获る际にはオオタカを使いましたが、自然界ではツルはオオタカの获物にならないため、野生で育ったオオタカは本能的にツルに向かっていかないそうです。そのため、幼鸟の顷に捕获した个体をツル用に仕込む必要があり、ツルを获るタカを育て上げるのは、鹰匠の腕の见せ所でした。

?在职期间が短く、世情が物騒な幕末期に十叁代将军徳川家定がたかがりを行っていたこと。まだそれだけの余裕があったのかと意外でした。

 &谤补谤谤;将军の鹰狩は娯楽ではなく、天皇へ献纳するためのツルを捕获する仪式的な意味合いが强かったため、実施する必要があったのだと思います。その后、将军による鹰狩は、十四代将军徳川家茂が最后となったそうです。ただし、鹰匠による鹰狩は続けられていたようで、鹰场の廃止はさらにそのあとだったといわれています。

?お殿様の“接待” 鷹狩りの話が面白かったです。現在の道東のえさやりのような形だったのでしょうかね。

 &谤补谤谤;江戸时代の给饵は、ツルを诱致し、定着させることを目的としていたため、现代の给饵とは性质的に全く异なっていたといえます。さらに、鹰狩に供するツルを仕込むという意味で、もっと调教的な侧面が强かったのではないかと思っています。

?江戸时代にツルを食べていたことに率直に惊いた。

?&濒诲辩耻辞;鹤&谤诲辩耻辞;は神圣な生き物として扱われていると思っていたのでツルが昔食べられていたのは意外でした。

?献上というとその后は饲育したり、鑑赏するように利用されているのだろうと思っていたので、食べられていたというのは衝撃でした。

?「黄筋」、「鹰狩り」の话が面白かったです。食とツルの话がなかなかつながらなかったので、新鲜でした。

 &谤补谤谤;私も、昔はツルを食べていたということをはじめて知ったとき、さらに「塩鹤」という言叶を知ったときは衝撃でした(今ではすっかり惯れてしまいましたが)。饲っていたツルが死んでしまったあと、食用や薬用に活用していた藩もあるので、ツルは最后まで大切にされていたのだなあと実感しています。

?ツルを食べるということ(江戸时代)。しかも、もどきを作るほどポピュラーだったこと!

?ツルの味が鱼で再现されてること。

?ツルを食べる&丑别濒濒颈辫;とは、昔の日本人は鱼はよく食べるけれど、动物の肉はめずらしいものだったのか&丑别濒濒颈辫;それともツルの肉だから、ありがたい(めったにない)ものだったのか&丑别濒濒颈辫;と思いました。

 &谤补谤谤;江戸时代には、獣肉をほとんど使わないかわりに、ガンやカモなどの野鸟の肉もよく食べられていました。ツルを食べることには、やはり縁起の良いツルにあやかりたい、力を取り込みたいという意味があると考えています。日本に生息する鸟类のなかでも特に大きく、见栄えが良いので、ツルであること自体に特别な意味を见出していたとも考えられます。庶民にとっては、縁起の良いものであり、さらに、基本的には権力者だけが食べるものという憧れの鸟であったため、もどき料理が作り出されたのだと思います。

?日本では、いつ顷までツルが食べられていたのでしょうか?

?ツル食文化はいつ顷消灭したのかについて知りたいです。

 &谤补谤谤;明治时代顷までは新闻记事などにもツル料理の记事や広告が载っているのを见ます。その后、戦前?戦后の食粮难のなかで食べられていたという话も闻いたことがあります。

?やっぱり食べますよね!

?鹤の証(筋)!

?鹤であることを証明するのに解剖したこと。

 ※笔者注:久井さんは、ご自身でも「つるもどき」を作ったり、ツルの解剖に立ち会って「黄筋」(=ツルの証)を确认したりしたそうです。

?ツルの「黄筋」とは解剖学的には何という部位ですか?なぜコウノトリやサギには无いのですか?

 &谤补谤谤;骨化腱というそうです。なぜコウノトリやサギにはないのか、ほかの鸟类ではどうなのかということについては、今后调べていきたいと思っています。

?やはり、江戸时代に高级食材だった&濒诲辩耻辞;ツルの料理&谤诲辩耻辞;ですね。特别天然记念物だから、食べることはできないけれど&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;予想ですが、ニワトリの肉に感じが似ているのではないかと&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;食感とか&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;

 &谤补谤谤;食べてみないことには何ともいえませんが、ニワトリの肉よりはもっと弾力があるのではないかと想像しています。ニワトリでも、歯ごたえがあって味の浓い地鶏のような&丑别濒濒颈辫;。ただ、ニワトリよりも色々な饵を食べているので、味は全く违うのかなと思います。薬効的には「血の病」に良いらしいので、鉄分が多いのかもしれません。先日、ヒヨドリを食べる机会がありましたが、家禽とは全く违い、レバーのような浓厚な味でした。ツルはどんな味がするんだろうと想像するのが面白いですね。

?もし食べられるとしたら何ヅルを食べたいですか?

 &谤补谤谤;まずはタンチョウに兴味がありますね。最终的には、全てのツルの食べ比べをしてみたいというのが梦です。

?タンチョウは何の目的で饲うのか(食べるより饲うのに适している)?

 &谤补谤谤;やはり綺丽な鸟なので、観赏用という目的が大きかったと思います。城や屋敷の庭园などで饲育していた记録がみられます。また、人に驯れやすい鸟でもあるので、爱玩鸟としても好まれていました。

(「実は、私が作ったのは『つるもどき?もどき』です」と久井さん)

―质问その⑧ 「江戸時代のツルと人との関係」について―

?ツルが江戸时代も庶民に亲しまれていたことが意外でした。

 &谤补谤谤;やはり縁起物として亲しまれる存在だったようです。栏间や饰り瓦などにもツルの意匠が多くみられます。

?江戸时代に、ツルの利用として种别して食べる、また饲养すると异なっていたことが意外でした。

 &谤补谤谤;これまでは私も、江戸时代の「鹤」として一括りに考えていたのですが、色々な史料をみていくと、种によって利用の场面が违った可能性があったのではないかと思うようになりました。単纯に史料上の「鹤」ではなく、史料上に记载されている「鸟类としてのツル」に注目したからこそ、明らかにできた事実だと思っています。

?江戸时代に鸟类学者がいたなんてびっくりしました。イメージでは食べてるか食べれないか区别するくらいなのかと(笑)。

 &谤补谤谤;江戸时代の人々は、现代の私达が考えるよりもずっと多くのことを考え、热心に「研究」を行っていたようです。胜手な印象から、カメラも双眼镜もない时代に&丑别濒濒颈辫;といわれますが、そういう时代だからこそ、その日その时に観察できる机会を大切にしていたのだと思います。また、研究者同士の情报交换や议论も活発に行われており、たとえ伟い先生が提唱した説でも、违うと思ったことは远虑无く指摘をしていたといわれています。

―质问その⑨ 「過去のツル」研究と現在とのつながりについて―

?ツルは湿原という环境を象徴する鸟にも考えられそうに思います。ツルを利用して江戸以前の过去环境を復元することは可能だと思いますか?

?古文書の記述が生态保護に反映された先行事例はありますか?

 →古文书から明らかになったツルの過去の分布情報は、現在、ツルの分散の取り組みの現場などで基礎情報として活用されています。過去の環境をそのまま復元することは難しいと思いますが、ツルをシンボルに、ツルが生息していた頃の環境を再生するための根拠として活用してもらえればいいなと思っています。

?ツルは渡りを本来する生き物だと思っていました。今日本に定住しているツルが将来に渡るということはあり得るでしょうか。

 &谤补谤谤;日本に渡来しているマナヅルやナベヅルは、现在でも渡りを行っています。现在の渡来地は九州が主ですが、その范囲が、江戸时代の顷のように日本中に広がっていく可能性もあるかもしれません。また、北海道に周年生息しているタンチョウも、もしかしたら、北海道と本州を渡るようになる日が来るかもしれないですね。

?现在のツルの数は以前より増えたか减ったか?

 &谤补谤谤;江戸时代の史料では、ツルの数を正确に数えているものはほとんどないので、江戸时代に日本全体にどれくらいの数のツルが生息していたのかは明らかではありません。ただし、现在のように限られた地域に集中していたわけではなく、数羽から数百羽程度の群れが所々に分散して生息していたことが、史料の断片的な情报から推测できます。

―质问その⑩ 「鹤の品々(=ツルグッズ)」について―

?ツルグッズを集めようと思ったのはなぜですか?

?ツルグッズの多さにおどろきました!どこで买われているんですか?

 &谤补谤谤;なぜでしょうか。実ははっきりとしたきっかけを覚えていません。いつの顷からか意识して买うようになったのですが、おそらく、はじめはなんとなく目についたものを买っていただけだったと思います。それが今や、完全に习惯化してしまいました。

普段は、どこで买うということは决めていないので、行った先々で目についたものをとにかく买い集めています。ツルとの遭遇率が高いのは、和物雑货屋や文房具屋です。年末年始は縁起物としてのツルが活跃する季节なので、私は「ツル(グッズ)狩のシーズン」と呼んでいます。

?ツルの羽の织物はあったのですか?

 &谤补谤谤;あったといわれています。史料にも、ツルの羽毛を使った衣のことが记されていますが、事例は非常に少ないです。鸟の羽毛を使った衣に関する记述は、ツルよりもハクチョウやコウノトリに多くみられました。

?ツルよりカラスが好きとのことでしたが、カラスグッズもお持ちなのですか?

 &谤补谤谤;カラスグッズも持っています。カラスの服は普段使いもしていますが、ツルグッズのように见つけたらほぼ买っているわけではないので、持っているのはほんの数点です。

(ずっとテーブルの上にいたツルたちも、久井さんの私物でした)


「?9ツルの品々、拝见つかまツル!」