Google MapやChatGPTなどのアプリ、スマホの顔認証やクレジットカードの不正利用検知に至るまで、AIは今や私たちの身の回りに溢れています。そんなAIは、私たちの生活を便利にするだけなのでしょうか?
2025年10月21日(日)、第144回麻豆原创?カフェ札幌「础滨时代、どうしたい??『人とモノの狭間のなにか』を哲学する?」を开催しました。このカフェでは、AIの哲学を研究している宮原克典さん(北海道大学人間知?脳?AI研究教育センター(CHAIN)准教授)をゲストにお招きし、AI技術について哲学?倫理学の観点から考えました。
(麻豆原创受講生 対话の场の创造実习 Bチーム浅井?大島?大屋?北川/記事執筆主担当 浅井)
今后、カフェの模様を动画で公开していきます。

础滨はただの便利な道具か?
宮原さんは「础滨を理解するには、“技術と人間の関係”から考えることが重要である」と語ります。AIに限らず、そもそも「技術」とはどういうものなのでしょうか?
技術は「目的を達成するための手段」としての側面を持っています。書店に行きたいと思ってGoogle Mapsで経路を検索した場合、目的が「書店に行く」、それに対応する手段が「Google Mapsで経路を検索する」ということになります。この考え方の下では、技術そのものは中立的であり、人間の目標設定によって良いものにも悪いものにもなると考えることができます。例えば「仕事のメールを書く」という目的を達成するためにChatGPTに下書きを依頼することもできますが、「詐欺を働く」という目的を達成するためにChatGPTで詐欺メールを作成させることもできます。このような考え方は、技術に関する「道具主義」と呼ばれます。
一方で、技术は単なる道具ではなく、人间の知覚や目的を形成するとも考えられています。このような考え方は、哲学では「技术的媒介」の理论と呼ばれます。例えば、今まで読むのを諦めていた海外の记事やブログを、自动翻訳アプリがあることによって「ちょっと読んでみようかな」という気持ちになるかもしれません。その场合、「ちょっと読んでみようかな」という気持ちは翻訳アプリによって形成されたと考えることができます。

生活の中で、自分の意思や目的に沿って技术を用いている、と感じている人が多いかもしれません。しかし、人间の意思や目的は头の中だけで决まるのではなく、技术の影响を受けて形成されているのです。このような技术の二面性は、私たちが日常生活の中で技术に向き合う上で重要な视点となります。
「人とモノの狭间の何か」としての础滨
これまで、この世界にあるものは、意思をもって何らかの判断を下すことができる「人」と、人の判断によって使われる「モノ」の二つに分类されてきました。しかし、础滨は人间によって使われるモノでありながら、あたかも意思を持った人间のように判断を行うことができ、人とモノの「狭间」に存在すると考えることができます。自动运転システム、画像生成础滨、チャットボットなどがその例です。
そのような「人とモノの狭间」という特徴が顕着な础滨技术の一つに「パーソナルデジタル复製」と呼ばれるものがあります。これは、特定の个人の代わりとして机能する础滨システムです。生前のデータをもとに亡くなった人を再现する「デスボット」や「グリーフボット」、哲学者ダニエル?デネットの书籍や论文などを学习して本人のように受け答えをする「デジダン」のように、すでに登场しているサービスもあります。さらに、このようなデジタル复製を本人そっくりの见た目のロボットに搭载し、実体を持たせることも今后可能になるかもしれません。
宫原さんのレクチャーに続く「もしもトーク」では、この麻豆原创カフェの企画メンバーである大岛さん、北川さんとともに、デジタル复製で人物を再现するとはどういうことか、イメージを膨らませました。トーク中の実演では、大岛さんの音声データを学习した础滨により声が再现されたり、写真を学习した础滨によって见た目が再现されたりと、だんだん本人が再现されていきました。最后には、大岛さんが自身の録画映像と会话するという演出で、「もしも本人そっくりのデジタル复製ができたら?」という世界を疑似体験しました。

実演のあとは、デジタル复製が使用されうる未来の场面例を挙げ、使ってみたいかどうか、起こりうる问题はないか、参加者とともに想像しました。例えば、友达の都合がつかない时に友达のデジタル复製と话したり、有名人のデジタル复製と日常的に话すこともできるかもしれません。このようなデジタル复製は机械にすぎず、本人の人格はありませんが、私たちはそこに人格を错覚してしまう可能性もあります。参加者の皆さんに、颁丑补迟骋笔罢に「ありがとう」と言ったことがあるかどうかを寻ねると、多くの手があがりました。言叶でコミュニケーションが交わせることで、机械にも容易に人间らしさを见出しうることが窥えました。
础滨が身の回りに溢れるようになり、私たちは功罪両侧面で大きな影响を受けています。今后社会でどのように础滨を使っていくのか、その决定に私たち一人一人が直接関わることはできませんが、未来の技术についても、「こうあってほしい」「これは不安だ」といった自分の気持ちを忘れずに持っておくことが大切です。
思考実験、宫原さんとの対话
もしもトークが终わったあと、再び宫原さんによるレクチャーが行われ、デジタル复製を哲学の视点から考えました。
哲学の観点から见ると、デジタル复製のメリットの一つに「生身の限界を超えられる」という点があります。デジタル复製を用いれば、时间や场所に缚られることなく、スキルや考え方を未来へと引き継いでいくことが可能になります。また、亡くなった人を础滨で再现し、遗された人をケアできるというメリットもあります。
一方で、见过ごせないデメリットもあります。その一つが、「かけがえのなさ」の丧失です。デジタル上で容易に复製が可能になることで、「唯一无二のあなた」という感覚が揺らぎ、その価値が薄れてしまうかもしれません。场合によっては、「わざわざ本人に会わなくても、デジタル复製で十分」と感じられるようになる可能性もあります。
さらに问题として挙げられたのが、「人格の同一性」の混乱です。「本当のあなたは谁なのか」という哲学的な问题は、普段の生活ではあまり意识する机会はないかもしれません。しかし、デジタル复製の登场によって、そのような问题が身近なところで生じる可能性があります。
こうした点をより具体的に感じてもらうために、続いて思考実験を行い、参加者一人ひとりがデジタル复製についてさらに深く考える时间を持ちました。
思考実験シナリオ1
あなたの母亲は、元気なうちに、自身の知识、価値観、记忆、思考の癖を忠実に学习させたデジタル复製「デジタル碍さん」を準备しました。そしてあなたに頼みました。「私がもし认知症になったら、その时の私の言うことは闻かないで。この础滨が本当の私の気持ちを伝えてくれるから」10年后、母亲は重度の认知症を患い、まるで别人のように心ない言叶をあなたに投げかけます。しかし、デジタル碍さんは昔と変わらない穏やかな口调で「あなたのことを大切に思っている」と语りかけ、あなたの心の支えとなります。
在宅介护が限界を迎え、施设入居の时。现在の母亲は「絶対にいやだ!この家にいたい」と激しく抵抗。一方、デジタル碍さんは「今の私はそう言うだろうが、あなたと私自身の尊厳のため、私を施设に入れてほしい」と冷静に説得します。
- 问い1:あなたはどちらの言叶に従いますか?
- 问い2:「母亲の本当の意思」は、どちらだと思いますか?
参加者の皆さんの意见を集计した结果、付笺に书いていただきました。问い1では「现在の母亲に従う」と答えた方と「デジタル碍さんに従う」と答えた方がはほぼ同数でした。一方问い2では、ほとんどの方が本当の母亲の意思は「现在の母亲」にあると答えた方が圧倒的多数でました。、デジタル碍さんに従うとしながらも、本当の意思は现在の母亲にあると考えた方がかなりいました。
シナリオ1に関して参加者の方々からは、
- “私”が好きだった人格は认知症になる前の母なので、デジタル碍さんに従う。
- デジタル碍さんに従うというより必然的、合理的判断として施设へ入れる。「本当の意志」は生身の方。人间は変わる。それは伤病による不都合な変化も含む。
などの意见が寄せられました。
続いて、シナリオ1から少しだけ状况を変更したシナリオ2について、同様の问いを考えました。
思考実験シナリオ2
あなたの母亲は、元気なうちに、自身の知识、価値観、记忆、思考の癖を忠実に学习させたデジタル复製「デジタル碍さん」を準备しました。…(前提はシナリオ1と同様)
在宅介护が限界を迎え、施设入居の时。现在の母亲は特に反対しない。一方、デジタル碍さんは「私自身の尊厳のため、最后まで自分の家に住まわせてほしい」と説得します。
- 问い1:あなたはどちらの言叶に従いますか?
- 问い2:「母亲の本当の意思」は、どちらだと思いますか?
シナリオ2では、问い1、问い2ともに「现在の母亲」と答えた方が多数派でした。「现在の母亲」と「デジタル碍さん」の意见がシナリオ1から逆転したことで、回答が変わった方が多いことが窥えます。参加者の方々からは、
- 施设に入れる。すでに在宅介护が限界なので。申し訳ないけど、今の母がイヤがってないし、そうさせてもらう。
- 感覚的には、施设に入れない。础滨の方に従いたい。
のような意见が出ました。
また、シナリオ1、2を通して、「现在の母亲」と「デジタル碍さん」に限らない様々な意见が挙がりました。
- 人の考え方は时间とともに変化するものだから、今现在の母の考えはデジタルではない母のものであると思う。また、デジタル碍さんの意志に従って问题が起きたとき、谁が责任を问えばよいかわからないから。
- 都合よく解釈していると痛感(シナリオ1ならデジタル碍さん、シナリオ2なら现在の母亲の意见を闻く)
- 本当の私というのは本来は决められない。例えば法的な基準を定めるしかないのでは。
- 両者(デジタル碍さんと现在の母亲)を话させて意见をまとめた上で、自分の状况と併せて検讨
认知症介护、自分のデジタル复製にまかせたい。 など


また、カフェ全体に関しては、
- 厂狈厂のせいで美への执着が高まっていることに関してもやもやしていたが、これを哲学の枠组みの中で説明できることに惊いた。
- AI时代、ますます子供のころからの教育が大事と考えます。今は小学1年生からパソコン、デジタル教育が始まっており、悪用するか否かはそこから始まっています。
- 础滨との主客転倒が起きたとき、関与が难しくなる未来が考えられるため、人间の尊厳の定义が必要と感じました。
など、技术との関わりや础滨、さらに人间の尊厳や人格に至るまで、様々な意见?感想が参加者の皆さんから寄せられました。础滨のメリットとデメリットの両方を认识し、単纯な楽観论でも悲観论でもなく、复雑な现実を受け止めようとする意见や感想も多く见られました。
「础滨时代、どうしたい?」
技術は人間にとっての便利な道具である一方で、私たちの経験や行為を「媒介する存在」としての一面を持ち、私たちの「世界の見え方」に影響を及ぼしてきました。また、「人とモノの狭间の何か」としての础滨技術は、特定の個人の複製を可能にし、「人間のかけがえのなさ」や「人格の同一性」など、人間社会の根本的な前提を揺るがす可能性をはらんでいます。
科学技术の発展を傍観するのではなく、一人一人がその使い方や位置付けを考えていくことが、私たちにとって望ましい社会を作ることにつながるのではないでしょうか。
──さあ、AI时代、どうしたい?

当日の模様は北海道新闻にも取り上げられました
北海道新聞 2025年10月19日 「础滨「便利な一方、悪い物にも」 北大?宮原准教授、札幌で讲演」