安達 寛子(2020年度 専科/学生)
モジュール2では、科学技术コミュニケーションで用いられる様々な手法を学んできました。最終回となる朴先生の講義は、「アート」をテーマに様々なコミュニケーションの可能性について学びます。
朴先生から伝えられたのは『今回は讲义というより「问いかけ」だ』という言叶です。アートについて、コミュニケーションについての明确な答えは提示されません。绍介された様々な作品や事例をヒントとして、受讲生が自ら考えるきっかけを作る时间となりました。
「アート」と闻いてイメージするものは人によって様々です。また、「アートの役割」として思い浮かべるものも様々です。多様なアートの中から、今回は特に「现代アート」を取り上げます。现代アートの元祖ともいえるデュシャン作「泉」、札幌市民にはお驯染みのイサムノグチ作「モエレ沼公园」など、讲义中には多くの作品が绍介されました。
私个人として、强く印象に残ったのは次の2作品です。
Felix Gonzalez-Torres作「Untitled」
この作品の特徴は大量のキャンディで、鑑赏者はそれを自由に持って帰ったり、食べたりすることができます。実はこのキャンディは、作者の若くして亡くなった恋人の体重を表しており、减った场合は同じだけ补充が行われるそうです。爱した人の甘い思い出を食べるという、切なくもロマンチックな作品です。朴先生は実际にこちらの作品を鑑赏し、キャンディを持ち帰ったものの、结局食べることができなかったといいます。物体としては単なるキャンディに过ぎないものが、アートとしての背景を持つことで、それほどまでに鑑赏者に影响を与えるのです。
Aiweiwei作「Sunflower Seeds」
この作品は一见すると、一面にひまわりの种が敷き詰められた広い部屋に思えます。鑑赏者はそれを踏んで入っていき、种の上に寝転ぶこともできます。しかし、よく见ればこの种は本物ではなく、中国の少数民族の人々によってひとつひとつ手作りされたオブジェなのです。気づかず踏みつけていたのが谁かの労働力だと知った时、同じ作品を见る目は大きく変わることでしょう。初めからメッセージを提示するのではなく、自ら気づいてこその面白さがある作品です。
このほか、朴先生自身が実践されてきたプロジェクトについてもお话ししていただきました。その中のひとつに、福岛での写真撮影を通した活动があります。ここでは朴先生が写真を撮るのではなく、子供たちに使い捨てカメラを渡し、テーマを提示して撮影してもらうワークショップ形式となっています。「私が撮ったのでは絶対に撮れないような写真が撮れる」と朴先生が言うように、撮れてきた写真はどれも、子供たちならではの目线で周囲の环境を切り取ったものでした。アートはけして敷居の高いものではなく、その人だからこそ生み出せる作品があるのです。
アートというと美しいものと思いがちですが、現代アートは美しいものばかりではありません。見えないものを可視化できることが現代アートの強みであり、政治的?社会的メッセージを含む場合や、モノのある空間そのものがひとつの表現である場合もあります。科学技术コミュニケーションという観点では、科学技术そのものもアートとなり得ます。朴先生は「アートを通じて感覚を拡張する」という表現を使っていました。社会を見つめること、未知のものに共感すること、価値観を揺さぶること、作り手や受け手の責任について考えさせること……これら全てがアート体験となるのです。
講義の終わりに、朴先生から「アートを通して科学技术コミュニケーションをするとしたら、何ができる?」という問いかけがありました。
科学技术コミュニケーションに限らず、コミュニケーション全般において、アートという手法はかなり異質なものです。プレゼンテーションやライティングのように、はっきりと問題提起をしたり、具体的に説明したりするわけではありません。しかし、これこそがアートの特徴であり、長所とも言えます。鑑賞者が自ら疑問に思ったり、ハッと驚いたりするのは、明確な説明や答えが提示されないアートならではの特徴です。教えられたことよりも、自ら気づいたことの方が、誰しも強く印象に残ることでしょう。プレゼンテーションの導入としてアート作品を紹介するなど、他の手法と組み合わせることで、より効果的なコミュニケーションを行うこともできそうです。
今回の讲义と同じく、アートそのものも「问いかけ」なのかもしれません。

