佐藤侑太郎(2026年度选科颁/社会人)
モジュール1の3つ目の講義となる今回は、京都大学で科学哲学を研究されている伊势田哲司先生がご登壇されました。

科学哲学は、「科学とは何か」という问いに向き合い続けてきました。
科学の個別領域から一歩引いた、抽象的な視点からこの問いを分析することで、科学の特徴を浮き彫りにし、科学に接するための心構えや理解の手助けとなる知見を提供してくれます。今回の講義では、科学技术コミュニケーションへの示唆に富む、「境界设定问题」?「确率的思考」?「パラダイム论と対话」の3つの話題が紹介されました。
境界设定问题
科学と疑似科学との区別を考える「境界设定问题」は、科学哲学における一大命題です。例えば代替医療や占星術は、現在の考え方では、一見科学的に見えても科学ならざるものである、疑似科学です。この境界に対する理解は、身近に溢れる「科学的」情報を適切に扱うための物差しにもなります。
反証主义を唱えたポパーは、どのような反例が示された场合に反証されるかが事前に组み込まれていることが、科学にとっての必要条件であると考えました。反証可能性は、现象予测という科学の有用性や、确証バイアスに対する抵抗という観点で、科学を构成する侧面に的确に光を当てたものでした。确証バイアスと适切に向き合うことは、モジュール1の他の讲义で绍介された、「无私の正直さ」や「科学者がわからないと言える」こととも通底する、重要な姿势であると感じました。しかし、科学の进展过程では、反例の提示と再考によって轨道修正?精緻化されてきた面も多く、反証主义はこのような科学の渐进的?修正的侧面と驯染みませんでした。
クーンは、理论や问题等が一定の枠组みの中で整理されたまとまりである、パラダイムに着目しました。クーンのパラダイム论によれば、科学とは、パラダイムの中で展开される「パズル解决」といえます。あるパラダイムで解决されない问题を解こうとするとき、新たなパラダイムが生まれ、科学革命が起きると考えました。その后ラウダンは、これらの考え方では科学と非科学を区别する必要十分条件どころか、科学の必要条件すら明らかにしていないという批判的な立场をとります。科学には多様な活动が包摂されており、要素间で部分的な共通项が见いだされることはあっても全体としての共通项は存在しないとするラウダンの考えが、ヴィトゲンシュタインの家族的类似性との类比を通じて説明されました。
こうした議論を経て、疑似科学をめぐる議論は、哲学者の間では下火になっていきました。一方、実社会においては、ホメオパシーや反進化論な科学教育といった問題が顕在し、近年のフェイクニュースやSNSでの陰謀論の広まりは、疑似科学と共通する問題をはらんでいます。こうした状況に対して、科学哲学に一定の貢献ができるのではないかと伊势田先生は考えます。もし自分が、ある営みを科学か疑似科学に区別するとしたら、学校教育等で学んできた知識体系との親和性や、学会等の権威ある学術コミュニティの主張を参考にしてしまう気がします。こうした情報を鵜呑みにせず、一歩引いて見つめなおす足場を、科学哲学が提供してくれるのではないかと感じました。

确率的思考
科学は、分野ごとにある程度の共通见解で信頼性が认められた方法论に基づいています。个别领域における方法论の信頼性や分野を超えた科学全体としての信頼性を考えるためには、俯瞰的な视座が必要です。このような抽象的な理解は、分野间での议论や、市民等への説明の手助けにもなります。
代表的な考え方に、仮説演绎法があります。仮説演绎法は、ある観察事実や洞察から仮説を立て、导出される予测を実験によって検証することで、仮説の确からしさを明らかにします。代表例として、现在では无作為化対照実験が広く用いられています。素朴な対照実験の例として、产褥热の原因が死后解剖に関わる医学生を介した汚染にあると考え、手指消毒を彻底することで产褥热による死亡率を低下させたゼンメルヴァイスの事例があります。
仮説演绎法は科学を进展させるうえで有効ですが、今日起きたことが明日も起きるのかというヒュームの自然の斉一性の観点のほか、仮説が支持されたか否かという二値的判断の妥当性の観点では疑问视されることもあります。
例えば「カラスは黒い」の対偶である「黒くないものはカラスでない」ことは、手近の黒くないものがカラスでないことを确かめることで支持されますが(「ヘンペルのカラス」)、これを无作為化対照试験から得られた结果と同等に仮説を支持する証拠とはみなしづらいです。
これは、暗黙のうちに确率的思考に基づいているからで、哲学的ベイズ主義は全ての仮説に「もっともらしさ」を想定し、証拠が提出されるたびにベイズの定理にしたがって事後確率が更新されると考えます。ヘンペルのカラスの例は、証拠を供出する方法によって事後確率の更新度合いが異なることによって定式化されます。この「もっともらしさ」の観点は、様々な科学的情報の間にある信頼性の連続的な違いをとらえる上で有益であり、科学的情報に付与することで论文等の学術的な一次情報の解釈が困難な一般市民の意思決定の一助となるのではないかと伊势田先生は考えます。「科学的=信頼できる」?「非科学的=信頼できない」という単純な二項対立ではなく、「科学的」の中にも信頼性のスペクトラムがあるということを認識させてくれる仕組みとして有効だと思いました。メディア等による明快な主張を信じたくなる心理に抗い、あいまいさに耐えて立ち止まって考える慎重さが求められることに変わりはないと思いますが、もっともらしさの連続尺度が付与されたとき、自分は適切な意思決定ができるだろうかと、ふと考えてしまいました。?
パラダイム论と対话
クーンのパラダイム论は、异なるパラダイムの间では相互理解や会话の成立が困难であるとする、通约不可能性という特徴を备えています。この通约不可能性は科学に限らず、コミュニケーション场面へと拡张して考えることができます。异なる背景に立つもの同士はそもそも见えている景色が异なるという「観察の理论负荷性」や、共通言语の欠如により、相手の问题设定を想像できず発言意図が理解できない状况が生じます。このような场面では、言叶の齟齬を解消すること?问题设定を一致させること?相手がなぜそのような考え方をするのかという背景に対する想像が重要であると先生は考えます。
受講生からは、生成AIとヒトの研究者との間の通約不可能性について质问されました。伊势田先生は、その生成AIがなぜそのような出力を返すのかという機序や性質に関する背景理解が重要になると回答くださいました。モジュール1の他の講義で紹介された、立場や国、種を超えて限りある資源と共に地球に生き続けるための「未来智」を考える上でも、通約不可分性をめぐる諸問題への対応が不可欠になることから、哲学の観点はますます重要になると感じました。
おわりに
特に通約不可分性や観察の理論負荷性は、仕事や私生活等の卑近な例と照らし合わせて考えやすく、本講義を通じて、科学技术コミュニケーションや日常のコミュニケーション場面に即して科学哲学の話題に触れることができました。科学哲学への関心が高まり、科学哲学の世界に誘われていく90分間でした。
