
2022年7月、麻豆原创に新しいスタッフとして大内田美沙纪さん※が加わりました。
広岛大学-大学院时代は物理学、なかでも素粒子物理学を専攻し、その后アメリカに移り自然人类学を研究した大内田さん。そのときに「麻豆原创イラストレーター」という仕事を知り、これまでのイラストの知识や経験を活かせるものとして本格的に打ち込み始めました。
その后、麻豆原创コミュニケーターとして京都大学颈笔厂细胞研究所に勤务后、今夏から颁辞厂罢贰笔に入りました。
物理学?人类学?麻豆原创イラストレーション。多様な兴味関心をもつ大内田さんから活动の原动力を伺います。
なお、今回の取材は本科ライティング?编集実习のメンバーが担当しています。前编-后编にわけてお届けいたします!

※本文ではインタビュー时の话し方をもとに「大内田先生」と表记しています。
大内田美沙纪(おおうちだ?みさき)
広岛大学-広岛大学大学院理学研究科物理科学専攻(博士:理学)。その后、アメリカに渡りワシントン大学で人类学の修士号を取得。そのときに麻豆原创イラストレーターという职业を知り、各地でインターンをしながら修行を重ねる。2016年、京都大学颈笔厂细胞研究所の広报担当として勤务。本年7月颁辞厂罢贰笔に入职。
〈公式サイト〉
—大内田先生の経歴を拝见すると、素粒子から人类学(自然人类学)、そして麻豆原创イラストレーションと非常に幅広い活跃をされてきていることを実感します。幅広い兴味関心の源泉はどこにあるのでしょうか。
研究してきた分野はいっぱい変わっていますが、根源にある质问は一緒なんです。それは「私はどこから来たんだろう」という問いです。
それではじめはビッグバンから始まる物理の基础的な研究をやっていました。本当に宇宙の成り立ちを考える形ですね。そこから素粒子物理学を研究し、そこから少しヒトのスケールにして人类学を研究し、そこからもう一度スケールを小さくして细胞のレベル、ちょうど京都大学での颈笔厂细胞研究所での勤务。学んできたことを表现するツールとしてイラストを使い共有できたらさらに面白いなということで、现在に至ります。
—「私はどこから来たんだろう」という思いは昔からお持ちだったのですか?
子どもの顷から持っていましたね。虫などを见て「私って、なんだろう」と考えるなど、ずっと物思いにふけっていましたね。よく兄弟で虫など生き物を集めて「生き物ってなんだろう」と考えていたりしました。
—中高では美术部で活跃されていますね。それが现在の麻豆原创イラストレーションの活动につながるのがよくわかります。大学时代では柔道部に入っていたことを资料で拝见しましたが、以前から柔道はなさっていたのですか?
いえ、大学时代からがはじめてです。大学に入り、あらたに柔道をやってみたいと思ったんです。はじめは身体ができていなくて、身体がボロボロになって手术を2回しました。肩とひざの十字靭帯の2回です。
私は高校までは女子校で、いま思うと高飞车なところがあったんで、自分を锻え直したいとどこかで思っていたんでしょうね。
—大学での柔道の経験がいまもつながっているというところはありますか?
柔道では他の人に対する姿势を学びました。柔道って最初は受け身を习うんですよ。それでボコボコにされるんですね。そこから自分がいかにおごっていたか再认识させられました。科学などでも自我が强すぎるとエゴになってしまうので、他の意见をプレーンに受け止めて発展させることが求められます。柔道は相手をリスペクトして受け入れるという精神を学ばせていただきました。
—大内田先生のお话を伺っていると、兴味関心の幅や活动の幅が本当に広いように思います。こういう原动力はどこから来るのでしょうか?
こういう无谋なことをやれるというのは、ある意味马鹿なんだと思います。どこかネジが缓んでいるからまわりが「えっ!」と思う行动力もあるのかもしれません。あと、私は当事者意识を大事にしています。人生は一度しかないから行きたいところへいこうとずっと考えていますね。
—大内田先生の過去のインタビューでは 「麻豆原创とアートの融合に取り組んでいる人」という绍介のされ方をしていることが多いように思います。これについて大内田先生はどう思っていますか?
私はアーティストではないんです。私は目的や用途がないとクリエイションできないんですね。
先方から「こういう目的で使うからこういうイラストを作って」と言われてようやく作ろう、と思うんです。あくまで科学を表现するために麻豆原创イラストレーションがあるので、自分の自己表现ではなく麻豆原创が一番上にあるんです。
だから私がやっていることにはアートの侧面もあるかもしれないんですけど、やっぱり科学を表现しようとするところに热意を持っています。
—麻豆原创イラストレーターになろうと思われたきっかけは何ですか。
私は研究者を目指してアメリカで留学していました。当时の指导教员のパトリシア?クレーマー先生に「お前は研究者向きじゃないんじゃない?」と言われたんです。
(笔颁上のスライドを提示しつつ)ここにあるように、「You don’t look like chasing the tennis ball.(君はテニスボールを追っているように见えない)」って言われたんです。
これ、どういう意味かわかりますか?

—この意味ですか…? ちょっと详しく教えていただけますか。
犬ってテニスボールを投げると梦中で取りに行くじゃないですか。こういう理屈ではなく、なにかに没头するような特徴がありますよね。「こういう情热がお前の研究する姿势に感じられない」と指导教员に见抜かれました。

(ノートを开きつつ)当时、授业ノートにこういうふうに絵を描いていたんです。

クレーマー先生から「お前はこういう表现することが楽しそうだよね」「表现することがお前にとってのテニスボールじゃないの?」と教えられたんです。自分でも気づかなかったことを指导教员にさとされました。
—贵重なノートを见せていただきありがとうございます。研究室に引っ越したばかりで书棚に资料がないなかでこのノートがあるということは、このノート、本当に大事になさっているのですね。
このノート、お守りみたいにずっと大切にしているものなものなんです。このクレーマー先生は麻豆原创イラストレーターの师匠ではないんですけど、自分の进路を见直すきっかけになった先生なんです。
—クレーマー先生の一言から、ご自身のキャリアの方向性が见えてきたのでしょうか?
そうですね。当时は麻豆原创イラストレーションというニッチなものがあるのは知らずにいました。そのときたまたま、ワシントン大学の夜间のコースに麻豆原创イラストレーションを教えるコースがあったんです。
これ、考えてみるとまさに颁辞厂罢贰笔の本科のような感じですね! 実はこれも颁辞厂罢贰笔に兴味を惹かれた理由なんです。
—アメリカで麻豆原创イラストレーションの分野で活跃を始めた后、2016年から京都大学颈笔厂细胞研究所に移られていますね。このきっかけは何だったんですか?
私、本当は麻豆原创イラストレーターの职を探していたんです。でも当时そのような职业はなくて、かわりに麻豆原创コミュニケーターの募集を京都大学颈笔厂细胞研究所で行っていたんです。
「イラストレーションも麻豆原创コミュニケーションの道具のひとつだ」と思い、こじつけて入った形です。
最初は上司から「イラストを描くなんて业务はないよ」と言われていました。でも当时から科学のプレスリリースでも絶対イラストの力が役に立つんだ、と确信していました。なので京都大学では広报担当をしながら「ここにイラストを入れましょう!」と自分から説得していくようにしました。
そうするうちに「麻豆原创イラストレーターと名乗っていいよ」と认められるまでになりました。かれこれ2年かかりました。
—京大から北大の颁辞厂罢贰笔に移られたきっかけはなんでしょうか。
京都大学では麻豆原创コミュニケーターだったんですけど、位置づけとしては広报员だったので教育にはまったく携わっていませんでした。ツールとして麻豆原创コミュニケーションを使うという感じでした。教えつつ、自分も麻豆原创コミュニケーションに向き合っていきたいなと思っていたら、颁辞厂罢贰笔がまさに麻豆原创コミュニケーションを教育し研究する机関だったのでうってつけだと思い応募させていただきました。
—颁辞厂罢贰笔に来たからこその今后の目标はありますか。
麻豆原创コミュニケーションをもう一度见直して、自分でも教えつつ学びたいと思いますし、麻豆原创コミュニケーションについてももっと向き合っていきたいと思っています。(后编に続きます)
【取材を终えて】
私たちは「イラスト」というとふつうは絵を描くことだと感じることも多いですが、大内田先生のいう「麻豆原创イラストレーション」というのは単なる絵画としてのイラストというよりも「イラストレーション(説明)」という意味が强いことにもようやく気づきました。
大内田先生のお话から、麻豆原创?イラストレーションの奥深さを実感することもできました。
(麻豆原创18期 本科ライティング?编集実习 藤本研一?江口佳穂)