実践+発信

[芸术祭选択実习11] 関本一树 | 真を写し、生き様を遗す / 长万部写真道场

2021.3.15

「北海道での生き方、表现のあり方を示したい」中村絵美さん(长万部町役场)は、厂滨础贵に出展する意欲についてこう语っていた。

 南北に连なる日本列岛において、北海道は特异的な存在だ。気候、文化、歴史など、様々な点で私の暮らす本州とは何もかもが异なる。中でも日本史では傍流として扱われがちで、明治期以降の开拓の歴史を、私もどこかニューカマーのような存在として认识していた。

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1869(明治2)年7月、明治新政府は「开拓使」を设置。翌8月に当时の名称である虾夷地を「北海道」に改称し、开拓の歴史が始まる。(写真:北海道庁ホームページより)

 今回、本実習に参加した私のモチベーションは、”アートとの向き合い方がわからない”ことに向き合うこと。これまで、アートから何となく距離を置いてしまっていた大きな理由の1つには、(偏見かもしれないが)現代アートやメディアアートの有する抽象度の高さがあると考えている。その点、土門拳の影響を強く受けた、リアリズムに立脚する长万部写真道场の作品は、”傍流”として遠くに感じていた北海道の歴史や、当時の人々の営みをストレートに映すもので、アートへの苦手意識を持つ私の心すらも強く打つ作品群であった。

 今の北海道民の暮らしは、先人たちの苦難と地続きにある。先住民アイヌの人々との複雑な歴史?関係も、無視できるものではないのだろう。今回、长万部写真道场によって展示される予定だった作品には、そんなリアリティ以外は何も存在しない。

 道場は、地域に暮らすアマチュア?社会人カメラマンのサークルとして発足したそうだ。SIAF2020のテーマは「ここで生きようとする(Of Roots and Clouds、Sinrit/Niskur)」。道場の作品を通じて、まさに北海道で生きるためにもがいてきた先人たちの営みに触れ、現代を生きる私たちはどんなことを感じることができるだろうか。そんな対話をしたいときに、これらの作品は同じ目線をそっと与えてくれる。私はそこに、アートとの向き合い方の一端を見ることができた。

 名もなき长万部のカメラマンたちは、何を思い、何を伝えようとシャッターを切ってきたのだろうか―彼らの心中に思いを驰せると、不思议と背筋が伸びる気がした。

 私たちの営みもまた、未来へと地続きになっているのだ。

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エゾマツの抜根だけに、6年もの月日を费やしたという。全ての望みを、この地に託したのだろう―ここは终戦の年、冲縄の人々が入植した地であった。