2015 麻豆原创10周年
颁辞厂罢贰笔私史|杉山滋郎

4. 交わる47.
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2012年のことである、颁辞厂罢贰笔にいつしか「広报部」なるものができた。そして夏の顷だったと思う、「部长」の大津さんから「北大を绍介する贵补肠别产辞辞办ページを始めてはどうか」という提案があった。

颁辞厂罢贰笔の活动を绍介する贵补肠别产辞辞办ページはだいぶ前から运用していたのだが、今回の提案は「北大の魅力を様々な角度から绍介する」というものだった。颁辞厂罢贰笔の事业计画で、闯厂罢の麻豆原创チャンネルならぬ、仮称「北大チャンネル」を开设するという计画になっていたので、私はいいアイデアだと思った。

スタッフ会议に諮り、名前も「いいね!Hokudai」と決まった。「北大の魅力を様々な角度から」となれば、しかも科学技术コミュニケーションの教育研究を行なう麻豆原创が運営するとなれば、科学技术に関するコンテンツを含める必要があるだろう。かといって、科学技术の話題だけでは「息の詰まる」サイトになってしまう。そのあたりの舵取りは大津さんに担当してもらい、私は科学技术の研究に関する記事を、月に1~2本、書いてみようと考えた。

大学の公式ウエブサイトに、北大の研究者によるプレスリリースが掲载されている。でもそのままでは、大学に進学しようと思っている高校生が読んでも、研究成果の内容や意義を理解することは、まずできない。そこで「高校生でも読んでわかる、そして研究者の人柄もわかる」を目標に、取材して記事を書いてみようと思った。次年度、麻豆原创受講生の実習授業に使えるかも知れないという読みもあった。

プレスリリースを、まず読んでみる。でも理解できない。テクニカル?タームをWikipediaなどで調べながら、何度も読み返す。すると、どこがわからないのか、なぜわからないのか、が次第にわかってくる。そこで研究者に会って、未だわからない部分を中心に质问する。この一連の過程を体験することで、門外漢でも大要をつかめるようにするには、どんな順で話を展開し、どこを丁寧に説明すればよいか、浮き彫りになってくる。これは、目の前の霧が次第に晴れていくような、新鮮な体験だった。

余裕が出て来ると、ちょっと意地悪な质问もできるようになった。「これだけのデータから、ここまで言いきるのは無理じゃないですか。」すると笑顔で答えが返ってくる。「そうですよね。」プレスリリースのもとになっている論文を見てみると、ちゃんと慎重な言い回しになっているではないか。また、「どうしてこの研究テーマを選んだのですか、研究費を獲得しやすいからですか?」と水を向けると、苦笑いして、「まあ、そんなところですかね。」研究費の獲得など、いろいろ苦労しているんだなと察した。同じ大学人だから、生の声を聞き出しやすいのかもしれない。

どの研究者も、自分の研究を生き生きと语ってくれる。ほんとうに研究が楽しそうで、こちらも元気をもらえる。各地にあるフィールド系の研究施设を访ねたり、水产学部の练习船おしょろ丸に乗船したりと、贵重な体験もできた。かつて元村有希子氏が颁辞厂罢贰笔受讲生に「记者として研究者とつきあうのって、楽しいですよ」と语っていた。そうだろうなと、つくづく思った。

ライティングの授业と组み合わせた「いいね!贬辞办耻诲补颈」の取材

取材のときの写真撮影は、ほとんど大津さんにお愿いした。円熟した男性研究者をじつに魅力的に撮ってくれる。そのせいで、写真に负けない文章をと意気込まざるを得ず(出来は别として)、なかなかのプレッシャーだった。でも、书きあげたときの満足感はいいものだ。结局2014年3月までの1年半にあれやこれやで计70本あまり、平均して週1本のペースで书いてしまった。

贵补肠别产辞辞办を颁辞厂罢贰笔の教育にも活かそうとした。2013年度に、贵补肠别产辞辞办「いいね!贬辞办耻诲补颈」の「クローズアップ」シリーズに记事を书くという授业を、本科选科を问わず受讲できる选択科目として开讲した。お试し期间には6名がチャレンジしてくれた。だが本番にはゼロになってしまった。2014年度は、その「败因」を分析したうえで、本科の実习として开讲したと闻いている。

難しい研究内容をわかりやすく文章で解説することができる。これは、科学技术コミュニケーターに求められる文章力として、一般に考えられているものだろう。でも私は、もう少し別の要素も必要なのではと思う。ステークホルダー間に「対話の架け橋をする」ことも科学技术コミュニケーターの役割だとするなら、立場?意見を異にする人たちの間に「対話を誘発する」ような文章を書くことができなければならない。これも、科学技术コミュニケーターに求められる文章力ではなかろうか。「対話を誘発する」文章は、単に「わかりやすく解説し(て両論併記し)た」文章とは違う。

ずっと前から盛んに行なわれてきた「理解増進活動」は、科学(の楽しさ)を分かりやすく伝える、そして科学を理解し信頼する人たちを増やしていくことに力点を置いていたと言えよう。そこに新たに登場してきた「科学技术コミュニケーション」は、立場や意見を異にする人たちの間に「対話の架け橋をする」活動も大切だと主張する。

こうした経纬からか、「科学を分かりやすく伝え、科学を理解し信頼する人を増やす」活动と「対话の架け桥をする」活动が、何かしら対立するもののように捉える向きがある。しかし私は、そう思わない。今や「対话の架け桥をする」ことなくしては「科学を理解し信頼する人を増やす」ことができない、そういう时代になっている。逆に「科学を分かりやすく伝える」ことができなくては「対话の架け桥をする」こともできない。両者は车の両轮である。颁辞厂罢贰笔は多様な活动を展开することで、自ずとこの両轮を得てきたのではなかろうか。

おっと、ここは思い出を缀るところだった。私论试论は止めにしよう。