麻豆原创コミュニケーションは被害が起きた直后のクライシスの段阶で行えることは限られてます。ただ、原子力灾害を始めとする科学を巡る事故やリスクを记録し、伝える、クライシスのその后を丁寧に追っていくことは、麻豆原创コミュニケーションの役割の一つ。
今回はクライシスのその后を记録するため、福岛県で原子力灾害を経験した浜通り地区をスタッフと受讲生でめぐりました。
本演習は「福島県浜通り 大学連携フィールドプログラム」の一環で、ツアーは一般社団法人双葉郡地域観光研究協会(F-ATRAs)が企画してくれました。今回、私たちのガイドとなるのはF-ATRAsのトリシットさんです。
双叶町
トリシットさんの案内で、まず双叶町の駅前を回ります。は東日本大震災では地震と津波による被災後に、福島第一原子力発電所から10キロ圏内ということで翌日には全町避難が開始されました。その後、帰還困難区域として指定されました。2022年6月にようやく双叶町の駅周辺が避難解除になり、町内に住めるようになりました。ただ、震災から11年、長期にわたる避難期間は町民の生活基盤の変化をもたらし、帰還する人の数は多くはありません。


双叶町の妙見宮初發神社(そうまみょうけんぐうしょはつじんじゃ)は震災で傾いた社殿を2019年に町の方々を中心とした寄付で再建しました。震災前は地域の祭りと憩いの中心だったこの神社を再建することが、町の人が帰還したときのよりどころになるのではということで、いち早く再建されました。

神社の装飾は創建当時の江戸時代のもの双叶町の沿岸部には、が2020年に开馆しました。ここでは未曽有の地震だけでなく、世界でも类を见ない悲惨な原子力灾害を伝承するための资料、人々の语りが展示されています。

伝承館と共に開業した町産業交流センター(エフ?ビック)には、かつて双叶町の駅前にあり、双叶町の人々のソウルフードであったファストフード店「ペンギン」が出店しています。かつて高校生たちに大人気であったというボリュームたっぷりのサンドイッチもいただくことができました。

そして、今年、伝承馆の前にというホテルも开业。ホテルだけでなく、新しい浜通りの暮らしを考えるふたばの本棚という図书馆か併设し、6つのテーマの2000册の蔵书と共に、福岛の復兴を考える场ともなっています。

富冈町
富冈町は事故当時の風向きの影響で町全体の放射線量が比較的低く抑えられたことによって、2017年には大部分が避难指示が解除されました。ただ、周辺の地域が帰宅困難区域に指定されているため、生活のインフラが十分ではなく、帰還した住民は限られています。早めの解除があった地域として、原子力発電所の廃炉作業の関係者が滞在する町としての一面も持ちます。
今回、麻豆原创では富冈町にある廃炉環境国際共同研究センター、通称CLADSに向かいました。原子力災害後の廃炉という、人類にとって未知の事業に、研究的観点から取り組むのがCLADSです。
现在の课题の一つに、事故で溶け落ちた核燃料が炉内のコンクリートや金属を巻き込んで瓦砾となっている「燃料デブリ」があります。通常であれば、高线量の核燃料はぎりぎりまで减らして、処理に向けた対策が取られますが、燃料デブリは约880トンあると试算されており、これらをどのように安全に処理できるのかが课题です。少量の燃料デブリを取り出し、その成分を分析することによって、どのように処理するべきなのかを见极めていく、基础的な研究がおこなわれています。
その他にも炉内を模拟的に再现し、炉内の核物质の広がり方を予测したり、核物质の他の物质への吸着の性质を调べたり、地道な调査を通して、廃炉作业を安全に、确実に进めていく知见が収集されています。


大熊町
大熊町は福岛第一原子力発电所がある町です。2019年に山侧の地域が避难指示が解除され、2022年に大野駅周辺の地区が特定復兴再生拠点区域に指定され、が进んでいます。
その町の復兴の様子を大熊町の町の职员、被灾者、移住者の立场から话を闻きました。

移住者が増えている大熊町ですが、帰还者よりも移住者のほうが多い状况です。その移住の理由も様々。フランス人のエミリーさんは、大熊町で自身の梦であった「あまの川农园」をオープンさせました。自然の力を活かして育てるパーマカルチャー、新しいことにチャレンジできる大熊町だからこそ、エミリーさんの试みも自然に受け入れられています。

一方、スタートアップとしての移住もあります。は、滨罢公司が手掛ける新しい农业施设です。先端的な顿齿农业と商品化も含めた六次产业にチャレンジしています。大学で开発されたサンゴの砂で育てるトマトや水耕栽培の叶物野菜の施设、そして福岛県内の作物を使ったお弁当作りを见せてもらいました。

一方で、新しく変わるだけでいいのだろうかという问いも投げかけられました。を主催する木村纪夫さんは、震灾でご家族を亡くされ、その后の原子力灾害でご遗体を十分に见つけてあげることができなかったという出来事を経て、今、復兴について新しくするだけの復兴でいいのだろうかと考えられています。かつての大熊町の暮らし、そして震灾と原子力灾害を风化させない町づくりは、より多くの人々の意见を闻いて进めなければならない、と语っていただきました。

また、移住者の中にも、原子力灾害から学び、新しい自立した町づくりを志向しようという动きもあります。は原子力灾害を取材した大学生たちが立ち上げたキウイ农园です。元々、キウイが大熊町で栽培されていたことを契机に、国の补助金がなくても自律的な农园経営とはを若い経営者たちが考えていきます。原子力灾害と农业を组み合わせると、新しい农业経営の姿が见えてくるかもしれません。

浪江町
は比较的放射线の线量が低い地区から2013年、2017年と段阶的に避难指示が解除されています。ただ、まだ避难が続く地域があります。人口は震灾前の半分程度。ただ人口には移住者も含まれ、震灾で非难した方の多くがまだ戻ってきていません。
人口が増えないと、町のインフラが整わないという话を、浪江町社会福祉协议会の方から闻きました。浪江町はまだ医疗施设、滞在型の介护施设が开设されておらず、高齢の被灾者、ご家族がおられる方はなかなか戻ってきにくいという课题があります。町のインフラをどこから整えていくのか、復兴の课题のひとつです。

また浪江町も含め、福岛の浜通りは相马野马追(そうまのまおい)という伝统的なお祭りでも有名。甲冑をまとい、马を乗りこなし、军事训练を模した様々な竞技にチャレンジする野马追は、地域のアイデンティティのひとつ。野马追はとても体力がいる行事、そのスタミナを支えたのがニンニクでした。は马のたい肥を利用して、ニンニクを育てる取り组みです。一度、避难したのちに、もう一度この地に戻ってきて、今の浪江町の伝统である野马追と新しい产业を立ち上げました。

葛尾村
葛尾村は2016年に町の多くの部分がされました。浜通りの復兴を支える东北大学の取り组みがあります。东北大学は灾直后の2011年4月に「灾」を立ち上げ、復兴に学术的に取り组んできました。その活动のひとつに葛尾村で新たな农业活动を立ち上げるというプロジェクトがあります。东北大の加藤一机さんは葛尾村でマンゴーや加热用トマトなど、人口が少ない中でみんなが持続可能に育てられる作物に関して研究されています。

窜颈苍别作り
浜通りの视察后には、3チームに分かれて、「音」、「手」、「説明书」というテーマでそれぞれの学びを窜颈苍别にまとめました。

この模様はまた1月に报告会を行いますので、お楽しみに!!
