2015 麻豆原创10周年
颁辞厂罢贰笔私史|杉山滋郎

3. 深める39.
讨论型世论调査

WWViewsって、いったい何ものなのだろう?どういうフィロソフィーに基づいているのだろう?そう思って調べるうち、讨论型世论调査(Deliberative Polling;略してDP)なるものに遭遇した。そうか、これが原型か。ならば一度、自分でDPをやってみよう。情報提供資料も、WWViewsではDBTから与えられたものをただ翻訳して使うだけだが、自分でゼロから作ってみたい。そう思って、準備を開始した。2009年の夏頃だったと思う。

麻豆原创では「麻豆原创セミナー」なるものを時々開催していた。年度当初に予定した講師のほかに招聘したい方が新たに出てきたときに、修了生にも公開して開催するセミナーである。ここに柳瀬 昇 氏(信州大学全学教育機構准教授)をお招きした。ネットで検索し、日本でDPの第一人者とお見受けしたからである。こうしてDPの背後にある政治哲学(討議型民主主義)も知ることになった。

実施のための資金集めも始めた。まずは科研費に応募するべく、メンバーを集めた。DPのテーマは、北海道に関係の深いBSE問題かなと漠然と思い、RISTEXの社会技術研究開発事業でBSE全頭検査問題を取り上げていた、吉田氏たちに声をかけた。農学分野の専門家として、佐藤 和夫 氏(酪農学園大学准教授)にも声をかけた。面識があったわけでもなければ、誰かの紹介があったわけでもない。ネットを検索し論文リストを見て、この人だ!と思ったのだ。もちろん柳瀬氏にも参加して頂き、麻豆原创からは斉藤健さんと鳥羽さんに、2010年春から参加してもらった。

基盘研究の叠に応募するか础に応募するか、迷った。础なら大きな金额の助成を得られるが、採択される可能性が低い。确実さを优先して叠に応募した。その结果、採択はされたものの、顿笔を実施するにあたり资金不足がつきまとった。叁上さんには资金繰りの苦労をかけてしまった。

科研費の応募書類を書いていたころ、ある方から「科学技术社会論学会の学会賞に応募しないか」という話をいただいた。賞は与えられるものなのに、なんで応募?と不思議に思ったが、そういう仕組みらしい。受賞となれば賞金がもらえるので、図々しいと思いながらも応募した。締切日の22時頃、函館から札幌に向かう特急のグリーン席で応募書類を書き上げ、メールで送信した。PC用の電源サービスがあるというのでグリーン車に乗ったのだが、なにせグリーン車に乗るのはこのときが初めてだったから、よく覚えている。おかげさまで受賞でき、賞金を全額、DPの実施につぎ込んだ。

ちなみに「ある方」とは、础础础厂の会场で颁辞厂罢贰笔の活动に注目してくださった方である。学会赏について声をかけてくださったのは、その时のことがあったからだろう、と私は思っている。础础础厂への参加が、予想外の果実をもたらしたのだ。

「BSE問題に関する讨论型世论调査」参加者の討論の様子

顿笔の山场は、参加者が会场に集まって讨论をくり返しアンケートに回答するところである。そのイベントを「みんなで话そう、食の安全?安心」という名称で、无作為抽出で选ばれた约150人の方々に集まっていただき、2011年11月5日に実施することになった。

讨论のときなどに使う情报提供资料は、同年の春ごろから执笔を开始した。意见の対立がある问题について、それぞれの言い分をきちんと汲み取り、バランスよく书かねばならない。単なる「并记」では読み物にならないので、それなりのストーリー性ももたせねばならない。四苦八苦したが、いい経験になった。

情报提供のためのビデオも制作した。叠厂贰検査の実态を伝えるのに、映像に及くものはない。食肉の加工场や検査所の撮影许可をもらうにあたっては、受讲生を含め数人の方から助力をいただいた。撮影では早冈さんに奋闘してもらった。

ビデオでの情报提供はあくまでも册子での情报提供を补助するものである。したがって、册子にはない新たな情报をつけ加えることはできない。また、见る人の感情をゆさぶって、意见を诱导するようなことがあってはいけない。こんなことに配虑しながら、1ヶ月ほどかけて编集をした。试作版を関係者に见てもらったところ、早冈さんから鋭い指摘がかえってきた。「编集を始めた方にありがちなポイントです。全体にカットが早い、游びのカットがない、间がなくて见ていると疲れる、ナレーションが早い、テロップが早い」などなど。いやあ、おっしゃるとおり。指摘の数々はどれも、文章と映像という二つの表现形态の本质的违いに通じるものだと思う。

早冈さんは、映像表现のコツを私の作品に即してハウツー的にまとめてくださった。流石だと思った。でも、最低限の改修を行なっただけで、作业终了とした。使っていた编集用ソフトが、発売されてまもない製品でバグが多く、数时间かけて作业した分が何かの拍子に消えてしまうのだ(作业の途中で强制的に保存することもできないⅹⅹⅶ)。

改善に向けての早冈さんのコメントは、なるほどと思うものばかり。

でも、それらを自家薬籠中のものとするには、何本も作品を作って練習しないとだめなんだろうな。文章でも、教えられたことが身につくには、書く体験を何度もくり返さねばならないように。科学技术コミュニケーションの教育にも、「習うより慣れろ」とは言わないが、「何回もやって習熟する」という機会がやはり必要なのだろうと思う。

ⅹⅹⅶ 情报提供资料やビデオなど、この顿笔に関する资料はすべて一般に公开されている。