2015 麻豆原创10周年
颁辞厂罢贰笔私史|杉山滋郎

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寂しい记者会见

2005年8月26日、麻豆原创が開講するに先だち、记者会见を行なった。

私にとって、生まれて初めての记者会见。今にして思えば、「申し訳ございませんでした」と頭を下げる会見でなかっただけ「よかった」という気もするが、それにしても寂しい记者会见だった。

ことの経緯は、次の通り。麻豆原创の開講にあたって最大の不安事項は、「はたして何人の人が応募してくれるだろう」ということだった。そのこともあって、受讲を検討している人を対象に説明会を開催することにした。その準備を進めていたときのことである。

10月1日に着任予定の隈本邦彦さんから、「広報戦略の一環として、9月3日(土)の説明会にメディアの人に取材に来てもらってはどうか」という提案があった。それはいい考えだと衆議一決し、道の教育関連記者クラブ(道庁舎2階)で8月26日(金)に记者会见したい、と申し込んだ。

当日は、难波さん、冈桥さんといっしょに、受讲生募集用のポスターをくるくる丸めて持ち、歩いて记者クラブに向った。暑い日で、道路からの照り返しが厳しかった。

会見場(というか、記者のたまり場)に着く。だが、だーれもいない。あれれ、と思っていると、毎日新聞の田中 泰義 記者がどこからか現われ、話を聞いてくださることになった。

たった一人の記者を前にしての会見。バシャバシャっとフラッシュを浴びながらの记者会见を想像していただけに、拍子抜け。受講生募集のポスターをテーブルのうえに広げながら、「科学技术コミュニケーターとは……」などと説明したように記憶している。

タイミングが悪かったのだ。驹泽大学附属苫小牧高校が、8月20日の甲子园决胜で57年ぶりの大会2连覇を达成したのみならず、22日夜には野球部长が部员に暴力を振るっていたことが発覚して、「驹大苫小牧」がニュースをかっさらっていた。记者クラブの人たちは皆、苫小牧に出払っていたのだ。