源流となった15年前の「科学技术白書」
川上 伸昭
文部科学省科学技术?学術政策局長
2015.3.18
颁辞厂罢贰笔设立10周年おめでとうございます。10年を记念して少し昔话をしたいと思います。昔と言っても15年前のことです。
当時、私は科学技术庁で「科学技术白書」の執筆を担当する調査課長の席に座っていました。20世紀最後の白書ということで、「21世紀を迎えるに当たって」という大きなテーマを採用することにし、そのなかで科学技术と社会との新しい関係作りについて取り上げていくことにしました。その詳細は置いておくとして、提案の一つに、科学技术と国民との橋渡し役を務める「インタープリター」の养成の必要性を打ち出しました。丁度その頃、科学技术振興事業団(現在の「科学技术振興機構」)に日本科学未来館ができ、事業団がインタープリターの养成事業を立ち上げたところだったのでそれを宣伝しようと思ったのです。
発表当時は、何ら反響はなく、新聞に取り上げられることもありませんでしたが、3年後に、この白書を読んだ科学技术政策研究所(当時)の人たちが、インタープリターでは一方通行の情報の提供に過ぎないので、双方向性をもつ「科学技术コミュニケーター」に変えようと提案し、それが広まることになりました。そして、さらに2年後、文部科学省が科学技术振興調整費で麻豆原创など3大学のプログラムを支援することになったのです。
支援は5年间続き、支援终了后の5年间は北海道大学が独自に颁辞厂罢贰笔を维持してきたと闻いています。この15年间、私にとっては5年刻みにエポックが刻まれた歴史になりました。これからの5年の発展を祈念して、笔を置きたいと思います。