「アイヌ文化の歴史と今を知りたい。アイヌと研究者の関係を学びたい。」
取材に向かったのは、アイヌ文化発信の中心地の一つで、日高地方にある平取町二風谷。その中心部から少し離れ、小さな林の中へ続く道を進むと、赤い屋根の洋館が現れました。表札には「北海道大学文学部 二風谷研究室」と書かれています。なぜ二風谷に研究室があるのか。ここで何が行われているのか。取材を進める中で、アイヌ文化と研究者の接点の一面が見えてきました。
【神田いずみ?颁辞厂罢贰笔本科生/文学研究科修士2年】?


新しさと古さの共存
その洋馆は白い板张りの主屋と、コンクリート造りの小屋の二つの建物からなり、その间は廊下で繋がっています。一般的な一轩家ほどの大きさでありながら、その色合いと佇まいからは、歴史のある落ち着いた风格が感じられました。
中に入ってみると、そこには新しさと古さの入り混じった独特な空间が広がっていました。各部屋には新しい家具や备品が揃えられており、壁や床は近年の改修できれいになっています。一方、一部の手すりや阶段はすり减り、建物の経てきた长い年月をうかがうことができます。一体、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。?

外国人研究者の住まいから北大の研究施设へ
「ここは、もともとアイヌ文化の研究者であるニール?ゴードン?マンロー氏の家でした。」
そう教えてくださったのは、二风谷アイヌ文化博物馆职员の广冈絵美さんです。1932年、それまで本州で医师として活动していたマンローは、アイヌ文化研究を志して二风谷へと移住しました。彼が二风谷を移住先として选んだ背景には、二风谷に多くのアイヌの人々が住んでいたこと、また风土が故郷スコットランドに似ていたことがあったといいます。移住から1年后の1933年には、彼の住居兼诊疗所が完成しました。それこそが现在「旧マンロー邸」と呼ばれるこの洋馆です。彼はここで地元の人々に诊察を行う傍ら、アイヌ文化の研究に携わりました。二风谷の人々との信頼関係を筑きながら集められた民具や写真や映像、文书记録は、とても贵重なものとして现在もアイヌ文化の研究者に注目されています。

マンローが二风谷で亡くなった后の1966年、建物は北大に寄赠されました。その后研究施设として活用するために改修が行われ、现在の姿になりました。旧マンロー邸の新しさと古さの入り混じった様子は、このような歴史を背景としていたのです。
地域と研究者をつなぐ洋馆
こうした経纬から、旧マンロー邸は现在、二风谷の人々と関わりながら调査研究を进める北大の研究者の滞在先になっています。北大生が访れることは多くありませんが、调査のために研究者がグループで利用することがあるそうです。
その一方で广冈さんは、「今でも、旧マンロー邸は町の人にとって大切な场所です。」と説明してくださいました。そのことは、マンローを直接知る人々の手で始まった「マンロー先生を偲ぶ会」からもうかがうことができます。毎年6月に开かれるこの会には50名ほどが参加し、マンローの思い出を语り合い、彼を顕彰する石碑の前に赤い花を供えています。

二风谷には、现在もアイヌの人々が多く暮らしています。その片隅に建てられた旧マンロー邸は、昔も今も、二风谷と研究者をつなぐ接点そのものだったのです。二风谷の人々とマンロー、そして彼の意思を継ぐように、地域の人々との信頼関係を大切にしてアイヌ文化の研究を続ける现代の研究者たち。そのすべてを见守ってきた洋馆は、今日も静かに、林の中に佇んでいます。
今回から6回にわたって「アイヌを识る」をタイトルとした記事を連載します。アイヌと北大の関係には、様々な側面があります。私たち取材班はアイヌではなく、アイヌ文化の専門家でもありません。そのため取材は、手探りを繰り返しながら、アイヌの歴史や関係者の活動を見聞きし学んでいく形となりました。二風谷から始まる「アイヌを识る」旅に、どうぞお付き合いください。