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#5 遗伝学者の光と影

北大の周辺には、何轩もの古本屋があります。天井にまで届く本棚、床にもうず高く积まれた古书。学生が売り払った教科书、研究者の蔵书だったとおぼしき専门书… 古本屋にふらりと立ち寄れば、埃とインクのかすかな香りにつつまれ、ひと时、现実から离れることができます。

ぼんやりと、何を探すともなく本棚にならぶ背表纸を眺めていると…読めない着者名が书いてあります。「おぐま…さ、さお…??」

「”おぐま?まもる”です。”かん”と読む场合もありますけどね」。ちょっと呆れたような言叶と共に、すーっと薄暗い本棚の影から现れたのは…あの过山博士です。

「あなたが古书に兴味あるなんてね…。いえ、失礼、小熊のエッセイ集『虫の进军』ですか…ちょうど私も小熊について调べていましてね。その本の中には、面白い…と言うよりは、恐ろしい、というか…、兴味深い一编がのっています」

过山博士は、その古ぼけた一册から、科学研究の闇を教えてくれたのです。

【川本思心?麻豆原创/理学研究院 准教授】

(小熊捍のエッセイ『虫の进军』)
讲演録「人类の染色体」

「小熊は1886年生まれ、20世纪前半に活跃した生物学者です1, 2)。北大农学部出身で、1930年に新设された理学部の教授になっています。北大退官后は、1949年に国立遗伝学研究所をつくり、その初代所长になっています。日本の遗伝学の础をつくった人物といえるでしょう。で、この『虫の进军』3)は、1946年、终戦直后の出版です」

(小熊の肖像写真。撮影年不详)〈北海道大学大学文书馆所蔵〉

过山博士に促され、ページをめくろうとしますが、纸が薄く、ざらざらしていて、なかなか果たせません。

「当时は纸が不足していたので、纸质が良くないんですよ…そうそこ、そのページ。その『人类の染色体』が问题の文章です。読んでわかる通り、遗伝学の话です」。

见ると、ところどころに図が载っています。ぐにゃぐにゃと歪んだ「へ」の字の何かが、いくつもならんで描かれています。

(「人类の染色体」『虫の进军』に添えられた図)

内容を理解できず、困惑している私を察知してか、过山博士は続けます。

「その絵は染色体です。…つまり、ですね。遗伝学は、生物の形や性质がどうやって亲から子へ伝わるか、を调べる生物学の一分野です。当时は既に、细胞の中の染色体が遗伝を担う、といわれていました。で、染色体の构造を顕微镜で详しく调べる研究が盛んでした。特に、ヒトの染色体の本数は男と女でそれぞれ何本なのか、各国で研究されていました」

( 1924年、渡航先のベルギー、リエージュ大学にてアンス?ド?ウィニワテールと共に。ウイニワテールはヒトの染色体研究を行っており、小熊は共同研究をした4))〈北海道大学大学文书馆所蔵〉

小熊の文章を読むと、各国での研究の状况と自説について、语るような文体でまとめられています。巻末を见ると、1939年の厚生省での讲演をまとめたものだと书いてあります。しかし冒头部分を読むと、特に恐ろしい、という话には思えません。先ほどの过山博士の言叶は、どういう意味なのでしょうか…

よい「材料」を求めて満州へ

「安心してください。あなたに生物学の讲义をするつもりはありませんよ…。染色体の観察のためには、健康な人の、状态の良い标本が必要です。でも、なにせ人间ですから、なかなかそう简単に标本を取ることはできません。で、彼はどうしたのか。あわてず、読んでください。その先を…」

読み进めると、小熊は、病気の人から摘出した精巣による标本では不十分で、より「良い」标本が必要だ、と主张しはじめます。次第に胸騒ぎがしてきました。そして次のように缀られていたのです。

非常に苦心を致しましたが、私ふと考えたことがあるのです。満州で匪贼を讨伐して居りますが、匪贼讨伐队に加って満州に行き、その匪贼を材料にしたらどうだろうか、どの道匪贼は杀してしまうのだから、と考えついたのでした。

匪贼とは今で言うゲリラです。満州事変と、その后に続く戦乱の中とはいえそんなことをしてよいのだろうかと、目を走らせていくと、さらに惊くべきことが书いてありました。

それで私は奉天に阵取りまして、奉天の医科大学の协力を得まして、奉天の特务机関と连络を取り、気长く时期到来を待って居りました。そうして居る中にある日幸いにも非常に良い材料を手に入れる事が出来たのであります。元より捕えた匪贼の一人です。彼はやがて军の手で処刑されるのですが、前にもお话した様に年齢が适当でないと材料としても面白くないから、まず何歳になるかを调べてもらいました。ところが彼等には戸籍というものが无く、従って确実なる年齢を知る术はないことが判りました。けれども军医の判断するところでは、叁十前だというからまずこの点は申分ありません。次に病気の存在が问题です。しかしこれも军医が详しく调べた结果、别に案ずるような病気が无いと判りました。して见れば研究材料としてまず申分はないわけです。唯残された问题として、その材料を処理することです。これは奉天医大の方の御协力を得て完全にやる事が出来ました。

助けを求めるように、はっと颜をあげると、过山博士は颜色一つ変えずにそこに立っていました。薄暗い古书店の中は物音一つせず、逆光に照らされる埃さえ、静止しているようです。

「…おどろいたようですね。私の调べだと…いや、まだ调べ途中ですがね。小熊が奉天に行ったのは1932年から1936年顷でしょう5)。たしかに、今の感覚だと明らかに问题です。当时も捕虏の扱いに関する国际条约はありました。でも、日本は署名してますが、批准していません。それに、「匪贼」に捕虏としての権利が认められるか、というと、认めないという立场を日本をとっていました」。

ふたつのテキスト、书き换えられた记述

とはいえ、科学者が、そのような戦乱の状况を利用して研究することに、なんのためらいもなかったのでしょうか。一般向けのエッセイ集にこのような文章が载っていることも、にわかには饮み込めません。

「え?まだ知りたい…、そろそろ私は用事をすませて帰ろうと思っているのですが…、それほど暇でもないんですよ…まあ、いいでしょう。小熊はどう考えていたのか、それは分かりませんが、こんな资料があります。见ますか?」

过山博士はしぶしぶなのか、手ぐすね引いて待っていたのか、どちらともとれない様子で、カバンからひと束のコピーを取り出しました。そこにはおなじく「人类の染色体」と书かれています。そして、『民族卫生资料 昭和十五年』7)と添えられていました。1940年。日中戦争のさなか。太平洋戦争の前年です。

「こちらが、まぁオリジナルといえるでしょう。后に再掲された『虫の进军』と违って、『民族卫生资料』は専门家向けですが。で、若干书かれている内容が违います。下线部がその部分です」

(『民族卫生资料』に掲载された「人类の染色体」(1940年))

非常に苦心を致しましたが、私ふと考えたことがあるのです。満州で匪贼を讨伐して居りますが、匪贼讨伐队に加って満州に行き、匪贼が非常に无茶な事をして人间を杀して居るようだから、その报復という訳ではないが、この度はその匪贼を材料にしたらどうだろうか、どの道匪贼は杀してしまうのだから、と考えついたのでした。

それで私は奉天に阵取りまして、奉天の医科大学の协力を得まして、奉天の特务机関と连络を取り、気长く时期到来を待って居りました。そうして居る中にある日幸いにも非常に良い材料を手に入れる事が出来たのであります。元より捕えた匪贼の一人です。材料はこうしてまず理想的の者が得られました。次に来る问题はこの材料からどういう方法で睾丸をとり出して薬品処理をしたかという事ですが、その方法は机会を得てお话をすれば、学问の进歩を図る一の歴史上のエピソードになるとは思いますが、相当重大な问题でもあり、谁にでも闻かせていいという问题ではありませんから暂くは断然口をとじて置きます。しかし天地神明に誓って、これ程立派な材料をこれ程完全なる方法で処理した场合は従来断じて无いという事だけは明言できます。匪贼を一人犠牲に供しました事は决して无意义ではありません。

「読み终わったら、コピー…、その纸、ええ、それ、返してもらえますか。…オリジナルの方が、より踏み込んでますよね。…当时と今の状况や考え方、法は异なります。ですから现在の感覚だけで、过去の出来事の是非を判断することは妥当かどうかは、ふまえておく必要もあるかもしれません。でも……、あなたは、どう考えますか?」

小熊は、戦时中の専门家向けの讲演録と、终戦直后の一般向けのエッセイ集で、微妙に内容を変えていました。さすがに差し障りがあると考えたのでしょうか。しかし、公开しない、という选択肢は选ばなかったのです。世界的な研究者に伍して、染色体研究に取り组んできた自负がそうさせたのでしょうか…この『虫の进军』は…

「あの、お客さん、それ、买うんですか?」

突然、声をかけられ、我にかえると、目の前に店主が立っていました。过山博士はいません。棚の向こうも、その向こうも探しましたが、现れた时と同じように、またも忽然と博士は去ってしまったのです。

英文誌も受理していた小熊の论文

结局、『虫の进军』を购入して、一人ふらふらと明るい店外にでました。手には一枚のメモ。本にはさまっていた、その纸には、

Oguma, K. Journal of Morphology, 61(1), 59-93, 1937

と书かれていました8)。

おぼつかない足取りで北大の図书馆にいき、论文を検索します。アクセスしてみると、确かに小熊の论文です。そこにはこのように英文で书かれていました9)。

我々の以前の研究とは异なり、本研究は主に満州人の精巣细胞で行われた。私は幸运にも、奉天滞在中に満州人犯罪者の刑の执行という机会を掴んだ。犯罪者は约30歳で、陆军の外科医の诊断によると、あらゆる点で非常に健康だった。精巣は取り出され、最も好适な条件で固定された。固定には1)酢酸を加えないフレミング溶液と2)チャンピー液を用いた。标本はアルコールに入れて日本に持ち帰り、札幌の私の研究室で切片にした。

その后、同様の条件で得られた同じ民族の新しい材料が、工藤教授の好意により提供された。この材料は、2人の犯罪者から得られたもので、1人は约35歳、もう1人は约40歳で、同じ液体で固定された。

札幌の私の研究室…それは今は総合博物馆になっている、かつての理学部本馆でしょう。ここで小熊は何を思い、连続切片を作成していたのか… 口を闭ざしたまま世を去った今では、それはもう分かりません。私にはどう考えたらよいか、まだ分かりません。ただ、言えることは、それは确かに、あったことなのです。

过山博士の考えを闻きたいのですが、安易に答えを求める私を见透かすように、博士にはそれきり会えていません。

注?参考文献?取材协力:

  1. 札幌农学校にて松村松年から昆虫学を学んだ。1929年农学部教授を経て、1930年に新设された理学部の教授。1943年には自身が设立に尽力した低温科学研究所の所长となった。有岛武郎とも亲交があり、现在も続く美术部、黒百合会の命名者でもある。
  2. 杉山滋郎「1 小熊捍「理学モノグラフ」誕生の触媒役は芸術好き」『北の科学者群像 [理学モノグラフ]1947-1950』北海道大学図書刊行会(2005)
  3. 小熊捍「人类の染色体」『虫の进军』北方出版社,1946
  4. 染色体数について、ウイニワテールは男47本、女48本説を唱え、小熊も同じ立场をとった。1956年の蒋とレヴァンの论文によって46本と确定された。结果だけを见れば、小熊の説は误りだった。
  5. 満州への出張時期は確定できていないが、小熊の論文が発行されたのは1937年6月であるため、それ以前である。『北大時報 第六十八号』(1936, 2)には、11月6日付で「軍用鳩ニ関スル研究嘱託ヲ解ク(陸軍省)」とある。小熊は「人類の染色体」で、「匪賊の睾丸を調べるから出張を命ずという事は出来ないから、私は鳥類の研究ということにして、向うへ渡って」と記している。この「鳥類の研究」が陸軍省委託の研究であるとすると、小熊の満州行は1936年11月以前であると考えられる。『北大時報 第十五号』(1934, 1)には、1934年7月28日付で、小熊に「満洲国ヘ出張ヲ命ス」という辞令が出ている。このときの旅費は大学本部から理学部に配分された費用で負担された6)。北大時報は、すべての出張を記載しているわけではないため、これ以外の時期に出張した可能性も十分にある。
  6. 杉山滋郎「雪氷科学者?中谷宇吉郎の研究を歴史的?社会的な文脈に位置づけるための調査研究」科学研究費 研究成果報告書(2015)http://hdl.handle.net/2115/59084
  7. 小熊捍「人類の染色体」『民族衛生資料』13, 1940 ※1939年12月2日、厚生省での講演の速記録
  8. Oguma, K. “The segmentary structure of the human X‐chromosome compared with that of rodents”. Journal of Morphology,61(1),59-93,1937
  9. 小熊の論文では、奉天医科大学のprofessor ShiinoとProfessor Kudo、assistant professor Suzukiが奉天滞在と、材料の獲得?処理に協力し、奉天衛戍病院のDoctor Kijimaが繊細な手術を実施した、と謝意が表されている。それぞれ、椎野﨧太郎(解剖学?人類学。満州人頭骨の計測による研究等を行った)、工藤文雄(京都帝国大学卒、生理学)、鈴木直吉(東京帝国大学卒、解剖学?人類学。満州人の脳神経の比較解剖学的研究のため、生体解剖をしたとされている)、貴島禎三(奉天衛戍病院長)と考えられる。
  • 北海道大学大学文书馆

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2018.07.12

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