前半では、松岛润平さんの建筑に関するこだわりやお仕事について闻きました。
后半では、松岛さんの教育観や影响を受けた人物や哲学と建筑思想の関係性、知的好奇心の源に迫ります。
【池田倖乃?総合理系1年/ 梅津侑奈?医学部1年/金指心?総合文系1年/澤田彩胡?法学部1年/月森裕哉?経済学部1年/渡部佑碧?総合理系1年】

松岛さんは、ご自身の事务所を持っていらっしゃると思うんですけど、その事务所を设立したきっかけをお闻きしたいです
根本的に僕は独立志向なんですよ。小さい顷の将来の梦は「発明家」でして、それってつまり头の良さへの憧れとともに、芸人的な目立ちたがりの独立愿望が混ざってたんですよね。いつの间にか建筑の道に入り込みましたが、そこでもそうした性质から「自分の建筑を作りたい」っていう気持ちはずっとありました。
ただ、いつそれを実行するかっていうのは、やっぱり人生の运みたいなものがあって。僕は、隈研吾さんの事务所に修士を卒业してから6年半くらいいたんですが、ずっとプロジェクトが山ほどあって辞め时がなかったんですけど、2011年にピタッと全部の担当プロジェクトが竣工して、同时に友人から个人的に仕事の相谈が来たんです。だから「これは神が辞めろと言っているんだ」と半分冗谈で感じて、势いで独立しました。
隈研吾さんの事务所で働かれていたということですが、隈研吾さんの凄さはどのようなところだと思いますか?
身近に见ていて感じたあまり知られていない隈さんの凄さは、どんな角度からでも振られた话题に一つ雑学を乗せて返すところです。つまり博识なんですよね。豆知识みたいなものを乗せて、どんな相手ともすごく発见のある会话を続けていました。「雑学は身を助ける」なんていうけど、それ以上に、雑学があるから人から爱されていることや、雑学を得て提供すること自体が仕事になっているようなふるまいを见て、実は隈さんの処世术の根本って「雑学キャラ」にあるんじゃないかと感じました。移动中もよく本を読んでましたし、纯粋な読书家ですね。
松岛さんが建筑に役立てていることはありますか?
そこに重ねたいわけではないんですが、僕もかなりの雑学キャラでして。兄も父もクイズ王みたいな家庭で育ちました。マンガだったり音楽だったり、あらゆる情报や知识をふんだんに使って建筑のコンセプトを作っています。専门情报だけでなく、いろんな文化的な情报を同じまな板に载せられるところが、建筑という総合芸术的分野の最大の魅力であり、强みだと思ってます。
建筑士としてそのまま生きていくということもできたと思うんですけど、北大の公募に応募してあえて教职を引き受けた理由は何ですか?
一つ大きい理由は、私の子供が三つ子なんですよ。20年住んでいた東京において、三つ子という特殊な育児に少し手詰まり感を感じていて、ほかの場所での生活を考え始めたのがまず一つです。そして二つ目の理由はコロナです。2020年かな、コロナになった時に、事務所の仕事をほぼリモートワークでやっていたので、場所に囚われなくても仕事ができるという感覚が、結構その時に明確になってきました。そして三つ目が、私が博士号を取った時期と同時に、北大が実務的な建築デザインを教える教員の公募を出したことです。博士号を持っている建筑家というのは結構レアということもあり、採用いただいて、しばらくここで子育てと建築設計と教職をしていく気持ちが出来上がりました。
东京时代も非常勤讲师として色んな大学で教えていたのですが、学生を鼓舞しながら、一绪に楽しんで面白がってると魅力的な建筑が生まれてくるっていうことが、僕も好きだし、学生も见てて楽しそうにやってくれてるから、设计教育に向いてるんじゃないかなって気持ちもやっぱりあったんですよね。何より、学生に触れている方が、新しい情报が手に入るということも大きいです。
雑誌は学生の方が全然読んでるし、今だったら厂狈厂で、地球上のなんかよく分からない建筑とかを见つけてきたりするので、新鲜な情报の场という意味では、アカデミズムというのはすごく重要な居场所ですね。
过去のインタビュー记事で、松岛さんは「べき论」がお好きではないと仰っていましたが、松岛さんの中でのその思想であったり哲学であったりというものはやっぱりご自身の建筑に影响を与えていますか?
もちろん与えていますね。构造主义やニヒリズムに影响を受けているので、本当にあるかないかわからない正しさを前提にするような「べき论」はあまり好んでないですね。「べき论」を避けるような哲学を展开した伟人は歴史上に主に叁人いて、彼らの影响を强く受けています。
1人目がソクラテス。无知を知る。やっぱりあの人は本当に天邪鬼で、「お前は本当にそれを知ってんの?」って问い続けるニヒリズムを明示した最初の人。
2人目は2世纪顷にインドにいたナーガールジュナっていう人。和名称は「龙树」。彼の『中论』っていう思想があるんですけど、「すべては中庸である」という偏りがない世界の捉え方に共感しています。人间はある働きを持った点であり、その因果関係しかないというドライな考え方なんですよね。
3人目は日本の一休さん、一休宗纯。彼自身は何かを成したわけじゃないんだけど、彼の无尽蔵なエネルギーに触れた弟子たちが、诗や茶道や水墨画といった一筋縄ではいかない复雑なカルチャーを作っていったんですね。そしてそのエネルギーの根底にあるのは、天皇のご落胤として生まれながら俗世に落とされた彼の数奇な运命に基づく巨大なニヒリズムなんですよ。「これは正しい」とか「こうあるべき」っていう前提条件に唾を吐き続けると、新たな人间の生命力や文化が生まれる。そういう思想です。
こんな昔の変人を敬愛して誇大妄想的なことを言ってる建筑家はあまりいないんですけど、そういうニヒリズムをどう建築に落とし込むかっていう些細な試みが、「命令的でない選択肢が集まった建築/トランスオルタナティブ」という建築思想に繋がっていくわけなんです。
ちなみに、20世纪初头は「モダニズム」と言って、正解を求める建筑、世界中の健康的な都市にはこういう建物がいいんですよというのをいっぱい作っていた时代なんですね。それが1度饱和して、「ポストモダニズム」というもっとユニークなものがあってもいいじゃないかというカルチャーになっていたんですけど。
そういう话に通じてくるんですが、やっぱりその仕掛けはやっぱりニヒリズムなんですよ。常に今を疑う、自己矛盾を受け入れるという态度が大事。

父親、教員、建筑家の三つの顔があると思うのですが、この三つの役割をこなす上での意識していることや共通点はありますか?
面白がることですかね。知的好奇心に従って、父親としても教員としても、子どもや学生、もちろんクライアントといった大人とも、一緒に全力で面白がる。そのスタンスは変わらない。色々考えると、結局一級建築士としても、建筑家としても、設計って「その敷地条件を面白がっている」っていうことなんだと思います。
その敷地ならではのユニークなポテンシャルを生かした「料理」の仕方を见つけられるか。そして、こっちの知识が増えれば増えるほど、面白がるポイントにいっぱい気付けるわけですよね。なので僕はどこまでも「勉强」を肥大化させたいというか、勉强し尽くしたいですね。そういうスタンスでいれば、必然的に亲であろうが教育者であろうが设计者であろうが、仕事が遂行されていくという感じかもしれないです。
学生を见ていても、知的好奇心がないと建筑という分野をあんまり选んでこないと思うんですよね。で、そういう仲间に囲まれるっていうことが何よりの価値だとは思います。建筑スタジオ等で彻夜して模型つくって、とかってやってると、なんか必然的に戦友っぽくなってくるしね。タフだけどユニークな青春が手に入るっていうのは建筑都市コースが持つ大きい価値だと思います。

今回のインタビューでは、松島さんの建筑家としてのお仕事や建築観、教育観や影響を受けた人物、哲学と建築思想の関係性、知的好奇心の源について迫りました。全取材を通して、松島さんご自身の経験や研究内容、考え方について沢山お話ししてくださり、とても有意義で楽しい時間を過ごすことができました。特に、松島さんの言っていた、「常に我々は建築から命令を受けて動いている」という視点は、初めての考え方で、新たな知見を得られて良かったです。取材を快諾してくださった松島さん、本当にありがとうございました!
この记事は、池田倖乃(総合理系1年)、梅津侑奈(医学部1年)、金指心(総合文系1年)、泽田彩胡(法学部1年)、月森裕哉(経済学部1年)、渡部佑碧(総合理系1年)が、主题别科目「北海道大学の”今”を知る」の履修を通して制作した成果です。