岡 碧幸(2017年度 本科/学生)
今回は、藤原辰史先生(京都大学人文科学研究所)をお招きし、科学技術のデュアルユースについて学びました。讲义では、人の「食べること」を支え、人類の幸せのために生み出された農業技術が、戦争で人を「殺すこと」に使われるようになった経緯を、特に第一次世界大戦に注目して見ていきました。
戦争を语る际に、まずその「恐怖」の本质を伝えることが大事だと、藤原先生はお话されました。そして、特に主戦场となったヨーロッパにおける、第一次世界大戦を描いた资料を提示しながら、その惨祸を伝えられました。発达した军事技术が用いられた新兵器は、兵士に大きな心身的障害を与えるようになり、戦争を生き延び除队した后も、彼らは苦难の人生を歩みました。
藤原先生は、第一次世界大戦のことを「人を殺している感覚無しに、人を沢山殺せるようになった戦争」だと言います。それを可能にしたのは、なんだったのでしょうか?讲义では、農業技術の発達と兵器の関連を、具体的な例を出して考えていきました。
まず、トラクターの登场です。トラクターはアメリカの农村部において1920年代顷に発达しました。そのころ第一次世界大戦では、堑壕が掘られ、戦线が停滞することが戦争国の悩みでした。そこでイギリスが、トラクターに目を付けたのです。これなら堑壕を突破していけるのではと考え、世界史上初の「戦车」が作られました。第一次世界大戦が终わった后も、农业用のトラクターを製造する会社は戦车の开発を秘密里に进めていきました。
次に化学肥料です。1906年、ドイツの研究者によって、大気中の窒素を人工的に固定する、ハーバーボッシュ法が発明されました。これにより、人々は大量の窒素化合物を作れるようになります。その応用の一つが「火薬」です。机関銃が発达した大戦では、火薬は重宝されました。
逆の流れもあります。「毒ガス」です。化学の発达により、マスタードガスや青酸ガスなどの利用が可能になりました。戦争后、大量に生产され余ったガスは、杀虫剤などの农薬として使われるようになりました。これ以降、化学农薬が発展するようになったのです。
藤原先生は最后に、技术が「平和」と「戦争」の二つの颜をもつこと。そして今は、たとえ武器を全てなくしたとしても、また新たな武器が、すぐに生まれうる世界であることを强调されました。更には、近年盛んに取り组まれてきている「有机农业」の意义について、振り返る必要性を语られました。今日、有机农业は商品に付加価値を与える意味合いで行われることが大きくなっています。しかし本来は、文明やそれに伴い残虐化する戦争を批判する、哲学?思想を强く持っているものでした。
讲义で、戦争法で禁止されているにも関わらず毒ガスが使用された、という話があり、この点に関し「法でも止められないのであれば、何が抑止力となり得るのか?」という質問が受講生からありました。これに対し「『倫理』そして『対話』しかないのではないか」と先生は答えられました。麻豆原创で常に重要視される、異なる立場にいる人々との対話?コミュニケーションの大切さを改めて感じました。



