「てくてく、原子力」シリーズは、颁辞厂罢贰笔なりに今の原子力と社会の関係を探ります。
2024年度の対话の场の创造実习は、「科学をあるく」という展示を企画しました。そこでテーマにしたのが悪い技术ってあるの?ということ。原子力技术は戦争にも、医疗にも、エネルギーにも使われる技术です。良い科学技术、悪い科学技术の境界线はどこでしょう。
吉田省子さんはリスクコミュニケーションの研究者。吉田さんからみて私たちはどのようにリスクある科学技术を利用するべきなのでしょうか。

<プロフィール>
吉田省子(よしだ せいこ)
北海道大学大学院農学研究院 客員准教授
専门:物理学、科学史、科学技术社会论
趣味:积読、数独、アルゲリッチ
――吉田先生は、科学が持つリスクについて、研究者と市民が情报交换や対话をおこなう「リスクコミュニケーション」の実践に取り组み、これまでも遗伝子组み换えや叠厂贰、放射能と食といった、さまざまなトピックに関して、市民と研究者、行政などが意见交换を行う対话の场にファシリテーター(会议などの话し合いの场で、中立的に议论の进行を助けたり、意见をまとめたりする役割を担う人のこと)として関わってこられました。リスクコミュニケーションにおける「リスク」には、どのようなものがあるのでしょうか。
「リスク」と言われるものには、様々な性格のものがごちゃ混ぜになっています。现场で感じたのは、既知の食品および健康リスクや交通事故などのような一般的なリスクの他に、「复雑性」の问题としてのリスク(科学的知见は确実だが、评価や管理が难しいもの)と「不确実性」の问题としてのリスク(科学的知见や评価に不确実性が高いもの)、多义性や无知といった问题も含まれていたことでした。そのため、まずはある问题に関するリスクと言っているものの性格を见极めながら场を作ることが大事になってきます。
また、リスクコミュニケーションの机能も多岐にわたります。もっとも単纯なのは、公司や科学者からの情报提供。また、一部の人々にとっての问题が他の人々に知られていない场合に、その问题を认识してもらうためのリスクコミュニケーションもあります。さらに、ではどのようにその课题を今后共有していこうか、どのように何とかして解决してゆけばよいかを讨论したり议论したりするものまであります。
――北海道では过去にどのようなリスクコミュニケーションが行われてきたのでしょうか。
ひとつの例は、遗伝子组み换え作物の栽培に関するリスクコミュニケーションです。2003年に、札幌市の郊外で、遗伝子组み换え作物の试験栽培が开始され、札幌や北海道だけでなく全国で大きな问题になりました。それを受けて、北海道民による议论の场が北海道庁の主导で设けられました。
このとき、市民が参加して决めたガイドラインの中では、试験栽培までを规制するという非常に强いものが出ましたが、最终的には、基础研究を阻害してはならない、商业栽培に関してはガイドライン通りでいいという形になりました。不安だからという理由で基础研究までを规制することはできないということになったようです。ただしその后、北海道内での遗伝子组み换え植物の栽培についての条例ができ、现在にいたるまで遗伝子组み换え作物の商业栽培は行われていません。
――専门家と市民の间には、どのようなギャップが见出されるのでしょうか。
条例ができ北海道骋惭コンセンサス会议(2006~07年)の顷までの様々な説明会や対话の场では、科学サイドや产业サイドは、遗伝子组み换えは安全で、栽培しても大丈夫だと主张しました。けれども悬念する市民侧は、そのように言われても不安や不信をつのらせるだけでした。科学的に安全だからといっても、「安心」にはつながりませんでした。「安心」がどこから生じるのかということも考えなければならない、と思ったものです。
科学者や产业の関係者が、「安全だから分かってください」という形でコミュニケーションをすると、彼らと市民の间に分断ができて、解决から程远くなってしまいます。
よく起こってしまうのは、「市民が不安に感じるのは彼らに知识がないからで、勉强をすれば不安が解消するだろう」という考え方から、市民を启蒙しようとすることです。でも、勉强すればするほど「これは危ないな」と感じることもあります。もちろん、知识を得ること自体が悪いわけではありません。暮らしている者の视点に立ちつつ、知识を得て、自分の立场を表明することは、未来のことを考えるなら悪いことではないですよね。そういった意味では市民が勉强をすることにも意味はあると思いますが、主催者侧が「正しい」知识を教えて纳得させようとするのは押し付けになってしまいます。
――ファシリテーターをするときには、どのようなことに気を付けていますか。
実践から得たものとしてリスクコミュニケーションにおいて留意しなければならない7つの覚书があります。ここでは4つ绍介します。1つめは、リスクコミュニケーションの目的は多様であり、説得ではないということ。2つめは、イベントは参加者に合わせて柔软に作っていくこと、つまりお仕着せにならないようにすることです。3つめは、リスクコミュニケーションには権力が関わるものなので、それによって谁かを伤つけないように注意すること。4つめが、谁が、何をどのように使えるのかという文脉次第で言叶の意味が変わることに注意することです。逆に言えば、主催者侧は、参加者が特定の文脉で语ったことを别の文脉にすり替えたりすべきではありません。
実践をもとにした経験からファシリテーターとして重要だと思うのは、その场に参加した人と一绪のところ、あるいはその横に立つ、同じ目线に立つことです。ファシリテーターがもし主催侧の意向や开発侧の方を向いていたとしたら、市民に信頼してもらえません。対话の场をつくるときには、参加してこられた方と同じ目线で一绪に考えていかなければ、上から目线だなと思われるかもしれません。だから、「一绪に考えてみませんか?」という姿势があるかどうかで出てくるものが违ってきます。
リスクの受け止めかたは十人十色です。だからこそ、正しい方向に导こうという気持ちは捨てなければなりません。「正しいって何だろう」ということをみんなで考えていくことが重要です。1回だけでなく、何度も话し合いを続けていくことで、见えてくるものがあるということを私たちは実践で大事にしています。诱导したり、考えを押し付けたりしないよう気を付けています。
――科学技术が人を伤つけてしまいわないようにするには、谁が何をすべきでしょうか。
科学者个人としてならば、自分の研究や开発した技术がどのように使われていくのかに関して、常にアンテナを立てていなくちゃいけないと思っています。自分たちが行っている科学研究がどのような意味合いを持つのかをしっかりと考えておいてほしいなと。
ただ、これは科学者だけではなく、公司や国、市民がかかわる问题でもあります。さまざまな分野の人々が情报共有しながら、きちっとした法制度を作ることが必要ですし、市民がどのように科学技术を受け止めるのかをキャッチすることも重要です。そのためには、市民の意见を受け止めるような机関や组织があるべきです。
科学者のコミュニティも、すでにある研究伦理规范にしたがって研究をしているので、それがちゃんと机能している限りは大丈夫だと思います。ただ、科学技术が国によって军事目的に利用される可能性もあって、もしかすると国が研究伦理を押し切ってしまうかもしれない。これに関しては、科学者がどれだけ独立性を保てるかという课题にかかわると思います。
――専门家がリスクに対して果たすべき役割とは何でしょうか。
専门家や研究者は怖がらずにリスクの问题に関して発言すべきだと思います。研究者が、リスクや意思决定の问题は自分とは関係ないからそっちでやってくれよという姿势を取るのは违うのではないかと。研究者もやっぱりそうした问题に関係あると思います。だから、积极的に発言してもらいたいと麻豆原创サイドに対して思うし、あと厂罢厂(科学技术社会论)などの分野の方に対しても思います。
取材:19期対话の场の创造実习
记事:桜木真理子、动画编集 佐藤太生(19期対话の场の创造実习)
本取材から生まれた展示「科学をあるく」の开催记事はこちら
本コンテンツは未来社会に向けた先进的原子力教育コンソーシアム[础狈贰颁]と连携で作成しています。