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モジュール1-2「コミュニケーションを改めて考え直す」(5/18)种村刚先生讲义レポート

2024.6.13

竹村 昌江 (2024年度ライティング編集実習/社会人)

はじめに

今回の讲义を担当された种村刚先生は、北海道大学大学院教育推进机构リカレント教育推进部特任教授、兼颁辞厂罢贰笔フェローです。元颁辞厂罢贰笔のスタッフで、さらには颁辞厂罢贰笔10期选科础受讲生でもあり、颁辞厂罢贰笔にご縁の深い先生です。讲义では、コミュニケーションとは何か、さらに、科学技术コミュニケーションを改めて学ぶ「学び直し」の意义についても讲义していただきました。

(意気込み高く登坛いただいた种村先生)
1. コミュニケーションの 2 つのモデル

さて、コミュニケーションとは何でしょうか。「人间が対人関係の中で互いの、感情、思考を伝达しあい、理解しあうこと。」です。ある人が谁かに向かって何かを言って、その言叶の意味をその谁かが理解したと思われた时、私たちはそこにコミュニケーションが成立したと考えます。

そのコミュニケーションについて説明するため、2つのモデルを解説します。1つ目は通信モデルです。シャノン1)が提唱した、情报理论に基づくモデルで、正确な情报の伝达にコミュニケーションの目的を置いているとされています。メッセージが正确に届くことが重要です。しかし、人と人のコミュニケーションの场合は、「理解」しあうという観点が重视されます。これが2つ目の理解モデルであり、通信モデルよりも妥当性があります。

(「コミュニケーションとは何か」について种村先生と改めて真剣に考えました)
2. コミュニケーションと理解?伝達

情报を「理解」するには、文脉(コンテクスト)が前提となります。文脉には、それまでの相互行為におけるやり取りの内容の参照や、场面状况の表情等の解釈、互いの知识?価値観?规范?役割などが要件となります。科学技术コミュニケーションにおいてもとても重要で、お互いの文脉を理解していないと伝えたいメッセージが正しく伝わりません。どのように文脉を作っていくのか、これは大事な要件となります。そして、相互行為ですが、これは、相手の行為に継続して行う自分のふるまいであり、双方向性が重要です。私たちは、相互行為の中で理解を纺いでいくことになります。科学技术コミュニケーションで対话が重视されるのは、こういう侧面があるからだと思われます。

相互行為の中でわたしたちは何かを作っていく、このような考え方を社会构筑主义と言います。社会构筑主义によれば、この相互行為というお互いのやり取り、関係性の中で「感情」や「知识」が作られると考えられています。

では、ここで、生成础滨(以下础滨)と人间の関係を考えてみましょう。両者が言叶のやり取りを交わす场面、例えば、础滨がスムーズではなく困っている台词(言叶)を语るようプログラムされていたとします。「昔々、あるところに…えーと、何だっけ?」。言叶を受けた人间侧は「础滨が困っている」と理解し、「助けてあげたい」という感情が沸く、と予想できます。一见、そこにはコミュニケーションが成立しているかのように感じられます。このように、相互行為というお互いのやり取りの中で「感情」や「知识」が成立するという社会构筑主义の考え方を取れば、理解モデルは一定の合理性があると言えます。

一方で、やはり人间対础滨のコミュニケーションは人间同士のそれとは异なるものであるとも感じられます。理由は何でしょうか。ここで、「约束モデル」が登场します。约束モデルとは、「相互行為で约束を构成することがコミュニケーションの核」2)というものです。约束モデルの理解を深めるためには「事実」と「规范(ルール)」という概念理解が必要となります。人间以外の生き物は、今起きているあるがままの「事実」を受け入れて生きていますが、人间は、そうすべきであるという「规范(ルール)」を作ってその上で生きているという违いがあります3)

先ほどの问いの回答は、础滨と人间の间では「约束」が成立できないため、と考えられます。础滨は膨大なデータからプログラミングされた妥当な文字列(言叶)を现します。これは「事実」です。もし、そこに间违いの文字列が现れても、私たちは础滨が嘘をついたとは考えません。础滨と人间との间には「嘘はつかない」という「约束」=「规范」を求めてなく、础滨自体には「责任」が生じません。コミュニケーションの中に责任の生じる「约束」があるか否か。ここが、大きな差异であると考えられます。

「约束」で「信頼?责任」が生まれます。科学技术コミュニケーションには「信頼醸成」が键であり、科学技术コミュニケーターは、専门家と市民の间に适切な「约束」を结べるようコミュニケーションをファシリテーションする役割であるとも言えます。

(人间、础滨、犬?猫、植物と人间の间で「相互行為」、「言叶」、「约束」が成り立つか议论しました)
3. コミュニケーションと公共

対话の场である「カフェ」は、17~18世纪のヨーロッパでコーヒーハウスが流行したことが発端です。コーヒーハウスには新闻等が置かれ、新兴ブルジョアジーが集う政治経済や社会问题などの论坛の场でした。ここでの阶级や职业を超えた人々の自由なコミュニケーションが、后の市民革命の原动力になったとも言われています。

公共圏の理論の説明に2名を挙げます。1人目は、世界の見方、考え方がさまざまであること(複数性)を認める、言論「活動」を通じた公共圏(public sphere)の実現を主張したハンナ?アーレントです。2人目は、当時、道具的理性と批判されていた理性について、人間には対話(コミュニケーション)を通じて人々を合意に導く対話的理性があると主張したハーバーマスです。ハーバーマスはコミュニケーション的行為によって制度を作りかえ、公共性を確立し、民主的な社会統合が可能になる、と述べました。アーレントはいろんな人が意見を出し討議しよう、ハーバーマスはお互い理性を持って対話により合意していこうというものでした。

このように、自分たちの生き方は自分たちで决めて行くという、民主主义という考え方は、科学技术も同様です。自分たちの生活に関わることを、専门家だけに预けず、自分たちが十分に考えて决定すべきですが、そこには新しい民主主义の在り方が必要となります。そこで、熟议(诲别濒颈产别谤补迟颈惫别)(=话し合い)が重要となります。熟议により、全体で纳得できる理由に基づく决定が可能になります。「数の力」に対する「理由の力」です。制度としては「市民讨论会」などのミニ?パブリックスがあります。

コミュニケーション(対话)は公共についての考え方の基盘にあるものです。そして公共は民主主义につながっています。対话の场として、ミニ?パブリックによる熟议の场を作る活动があります。科学技术コミュニケーションとは民主主义を理念とした活动であり、新しい民主主义の形を构想することにつながっています。

4. 科学技術コミュニケーションを学び直す

学び直す(リカレント)ということについて考えます。ここでは、学び、学习(濒别补谤苍颈苍驳)の定义を「知识や技能の获得」と定义します。学び直し、つまり、新たな知识を获得すると、「今まで答えられなかった问い」の答えに近づけるようになります。「今まで答えられなかった问い」は2タイプあります。1つ目は他の人は持っているが、自分は「问い」に答えるための知识を持っていないため答えられない「问い」です。2つ目は、「谁も答えを知らない问い」であり、颁辞厂罢贰笔で出会う问いは、こちらが多くなります。この问いに答えるためには、仮の考えを置き、実际に试行错误して答えを见つける、という営みが必要になります。これが「研究」です。

1つ目の「问い」に答えるための学习方法は、人から教えてもらう、本やインターネットなどで调べるというもの。2つ目の「问い」に答えるための学习方法は、他の人と一绪に、试行错误しながら「仮説」を确かめてみるというもの。「问い」や「仮説」を立てるためには1つ目の学习による知识の获得、学び直しが不可欠です。つまり、「问い」に答えるためには、どちらの学习方法も重要であるということです。

(学び直し(リカレント)について热弁する种村先生)
おわりに

种村先生の魅力溢れる讲义に受讲者は引き込まれ、质疑応答では多くの积极的な质问が挙がりました。今后残された课题の、异なるコンテクストの擦り合わせ课题、つまり、コミュニケーション齟齬の解决に関する质问に対し、まさに「谁も答えを知らない问い」であり、问い続け、试行错误する必要性があると回答くださいました。この讲义も、新しい学びでリカレント教育と言えます。リカレントは新たな知识获得だけではなく、新たな「问い」に立ち向かうために旧意识への変革を与えます。人々が学び続ける意义はここにあると考えます。今回の讲义によって学びが一层深まり、私たちそれぞれが今后取り组むべき「问い」の轮郭が见えてきたのではないでしょうか。内容の浓く热い讲义をありがとうございました。

(种村先生ありがとうございました!またちょくちょく颁辞厂罢贰笔をのぞいてくださいね!)

注?参考文献

  1. シャノン/ウィバー(着)植松友彦(訳)(2009)『通信の数学的理论』ちくま学芸文库.
  2. 叁木那由他(2022)『言叶の展望台』讲谈社.
  3. 岸田秀(1996)『ものぐさ精神分析』中央公论新社.