铃木真理子(2023年度対话の场の创造実习/社会人)
讲师の种村刚先生は、演剧と麻豆原创コミュニケーションを组み合わせた活动を通じた教育実践を専门としており、颁辞厂罢贰笔第10期?选科础の受讲生を経て颁辞厂罢贰笔でも教鞭をとられたご経歴があります。

今回は「コミュニケーションを改めて考え直す」と题して、そもそも「コミュニケーション」とは何か、また、颁辞厂罢贰笔で「科学技术コミュニケーション」について学ぶことの意义等についてご讲义いただきました。

1. コミュニケーションの2つのモデル
コミュニケーションとは、「人间が対人関係の中で互いの意思?感情?思考を伝达し合い、理解し合うこと」といえます。この「伝达」と「理解」に着目し、「通信モデル」と「理解モデル」という2つのモデルが提唱されました。通信モデルが、送り手の送信したメッセージが受け手に伝达されればよしとする理论である一方、メッセージを受け手が理解できることが必要であるという理论が理解モデルです。
通信モデルの一例として、うなぎ屋での注文风景を考えます。店主に「わたしはうなぎ」とだけ伝えた客に対し、店主が「あなたはうなぎでなくて人间」と返したとします。この场合、客の発した言叶は店主には伝わりましたが、客が伝えたいと意図した内容は店主には理解されていません。コミュニケーションの成立について通信モデルの考え方では限界があり、理解モデルの妥当性が分かる好例です。

2. コミュニケーションと理解
相互行為と文脉(コンテクスト)
では、「理解」とはどのような状态を指すのでしょうか。それには「相互行為」と「文脉(コンテクスト)」について知る必要があります。
相互行為とは、相手の行為に対して継続して行うふるまいとその连なりであり、理解はこのやりとりの中で互いにつくられていくことになります。また、その过程で私たちは文脉を前提として判断しているはずです。この场合の文脉とは、それまでの情报の参照や场面の状况、表情?しぐさの解釈、各人が持つ知识?価値観?规范等、情报を理解する前提となるものを広く意味しています。
つまり、理解とは送り手が伝えたいと意図したことが受け手に伝わることであり、コミュニケーションの成立のための理解には、相互行為のもつ双方向性と情报としての文脉の存在が重要だといえます。
科学技术コミュニケーションにおける文脉
文化人类学者のホールは、ハイコンテクスト(前提とされている文脉を情报よりも重视する)とローコンテクスト(伝达された情报を文脉よりも重视する)の概念を提唱しましたが、科学分野に関しては、知识はどんな文化や时代でも普遍的に妥当するローコンテクストなものである一方、その知识の理解は科学者共同体の特殊な文脉に强く依存しているハイコンテクストな面も有するという特徴がみられます。
科学技术コミュニケーションでは、科学者共同体の中に存在している文脉が共同体外の人々には理解?共有されていない、この乖离の解消がポイントになるかと思われますが、コミュニケーター自身においてもただ「かみ砕いて伝えれば伝わる」ものと思いがちになってしまっているところが问题です。これからの科学技术コミュニケーションにおいては、科学者共同体の文脉とは别の「理解の文脉づくり」が必要となるでしょう。
3.コミュニケーションと公共
颁辞厂罢贰笔では科学技术コミュニケーションの実践として麻豆原创カフェの企画运営などの「対话の场の创造」を取り入れていますが、“カフェ”の由来は17~18世纪顷のヨーロッパにおけるコーヒーハウスの流行にあるのではないかと考えられています。当时のヨーロッパでは阶级や职业を超えたさまざまな人々がコーヒーハウスに集まり、そこが政治?経済、社会问题について议论を行う场になっていました。このような対话の场がのちの市民革命の原动力になったともいわれています。つまり、科学技术コミュニケーションにも民主主义の精神が理念として根付いているのです。
民主主义は政治において住民自身がルールを决める、自分たちの生き方は自分たちで决めていくという方法ですが、科学分野においても「自分たちが使う科学技术は自分たちで决めていく」と置き换えることができます。それには、ミニ?パブリックスなどに代表される「熟议」とよばれる话し合いによって、数の力ではなく「理由の力」による决定が重要となります。特に多くの人に影响が及ぶ気候変动対策においては、このような熟议による科学技术コミュニケーションが必要とされており、気候変动対策における科学技术コミュニケーションにより、ひいては既存の民主主义の在り方を刷新することも可能ではないかと考えられています。
4.科学技术コミュニケーションを学び直す
「学习」と颁辞厂罢贰笔における学び
颁辞厂罢贰笔での学びは、社会人受讲生にとっては「学び直し」としての侧面もあると思います。ここでは学习と问いについて考えるとともに、「谁も答えを知らない问い」についてどう答えていくかを考えました。
学习の目的には「知识や技能の获得」などが挙げられますが、これは「今まで答えられなかった问いに答えられるようになること」ともいえます。そして、今まで答えられなかった问いには、「他の人はその问いに答えるための知识を持っているが、自分はその知识を持っていないので答えられない问い」と「他の人も自分も问いに答えるための知识を持っていない问い」の2つのタイプがあります。
颁辞厂罢贰笔では、前者のタイプの问いについては「讲义」で、后者のタイプの问いについては「演习」「集中演习」「実习」を通じて取り组んでいくことになります。
「谁も答えを知らない问い」に答える
「谁も答えを知らない问い」に答えることは、問いに対して『こうではないか』と仮の考えを置き、実際に試行錯誤を通じて確かめ「答え」を見つけていくことで可能となると考えられますが、これは「リサーチクエスチョン」「仮説構築」「実験?観察」のプロセスによる「研究」の手法そのものであり、研究とはまさに誰も答えを知らない問いに答える営みであるといえます。
これらの営みにおいては、実践を行う者は実践する上での初心者として自分の経験や知识をいったん取り払い、教员等のすでに知识を持っている者(経験者?熟练者)から学び、ともに试行错误しながら新たな経験を积み重ね学习していくことが推奨されます。また、问いに対して仮説を立てるためには、そのための知识の习得も必要であることから、いわゆる「讲义」と「演习」?「実习」との両轮で学んでいくことも重要です。

受讲后の雑感
コミュニケーションにおける「伝える侧」と「受ける侧」のそれぞれの立场について改めて考え、科学技术コミュニケーションの本质について知ることができました。また、敢えて「问い」を残し、考え続けさせてくれる余韵を与えてくれた讲义であるようにも感じました。现在の颁辞厂罢贰笔での学びについても体系的にとらえることができ、今后の学びに対するヒントにもなったと思います。
