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『石狩平野』演武场の博物室[物语の中の北大狈辞.23]

祭礼が终って间もないある日、次郎は壮太を农学校へ连れていった。渡瀬という先辈にひきあわせるためであった。(中略)
彼は演武场の一階の博物室で、気さくに会ってくれた。彼は壮太の差し出した箱の蓋をとるなり、
「ほう、稀らしいものを见つけたね」
と、なかの虫をつまみあげて眼を细めた。
「だが、これは青玉虫じゃないよ。よく似てはいるがね」
こっちへ来たまえ、と渡瀬は二人を陈列棚の隅へ连れていって、抽出しから小型のガラスケースをとり出した。
(中略)しばらくして、ようやくエゾアオタマムシのケースから颜をあげると、こん度は、壮太は部屋に饰られてある鸟やけものや昆虫类の标本に心をうばわれてしまった。
それらは歴代の学生たちが、教授の指導で集めたものであったが、その多くは、附属牧羊場のなかにある博物館におさめられていて、演武场の博物室にあるのはごく一部であった。それでも、壮太を夢中にさせるに充分であった。

船山馨『石狩平野』(河出書房1967, pp154-156)


(参考画像。中央左がエゾアオタマムシ。右がアオタマムシ。渡瀬が「(略)翅の先の部分を见たまえ」と指摘し、壮太が「ほんとだ。でっかい方は翅の先が、歯みたいにギザギザになっている。こっちは真っ直ぐだ」と気が付いたように、翅の形状が异なっています。ちなみにこの标本はそれぞれ1940年と1973年に採集されたもの)〈北海道大学総合博物馆所蔵〉

生き物好きの杉壮太は北海道にいないと思われていたアオタマムシを採集し、友人で农学校の学生である伊住次郎のはからいで、动物学者の渡瀬正二郎を访ねます。札幌农学校演武场に収められた数々の生物标本と渡瀬の言叶は、生き物好きな壮太を梦中にさせます。时に1885年。ここに在野の研究者が诞生したのです。

この一节だけを読むと、今回「物语の中の北大」で绍介する『石狩平野』は、北海道の自然の中で生き物を追い続ける壮太の物语なのかと思わせてしまうかもしれませんが、そうではありません。

主人公は贫しい入植者の娘で、后に壮太と结婚する高冈鹤代です。物语はその彼女の12歳から76歳、时代にして1881年(明治14年)から1945年(昭和20年)までの64年间を描きます。鹤代?次郎?壮太の代から、鹤代の子である明子?壮太郎、さらに雪子?直记?小鹤、そして和子?真人と血脉は続きます。登场人物たちは、厳しい自然の中での开拓、度重なる大灾害や戦争、そして人々の思惑に翻弄されながらもそれぞれの人生を生き抜きます。杉壮太の生き物好きは、この大きな物语を构成する縦糸の1本です。

壮太はこのエゾアオタマムシの一件の后、特にサンショウウオに取り付かれ、一生を赌けることになります。度々调査で家を留守にして妻の鹤代に苦労をかけながら、ついに1914年に釧路の平戸前でそれまで北海道には生息していないと思われていたキタサンショウウオを3匹発见します。そして「もういち度めぐり会いたい、どうしても会いたい。それだけのことなんだよ」との一念で、1921年秋に弟子屈で2匹を再発见します。

(参考画像。キタサンショウウオ。后ろ足の指が4本であり、5本のエゾサンショウウオと异なります)〈撮影:徳田龙弘〉

これに対して北海道帝国大学の生物学教授、须贺博士は、発见されたのはエゾサンショウウオではなく、キタサンショウウオだと认めるも、自然に现地で繁殖しているものではなく、たまたま人為的に导入されたものに过ぎないと主张します。壮太は反论のために道东へ调査に行きますが、再発见することはできず、体をひどく壊してしまいます。

そこで壮太からの资料を託された鹤代は、1923年9月1日に东京で引退していた渡瀬に会います。壮太と鹤代の热意に押され、翌年に渡瀬は弟子である东京帝大の伊佐讲师を连れて来札し病床の壮太に面会。そして须贺博士も同行して釧路へ调査に行きますが、残念ながらそのしばらく后、壮太は死去します。

それから约10年后、1933年のある日、鹤代は新闻にのった小さな记事を见つけます。そこには「キタサンショウウオ本道生息确认さる 北大犬塚博士の苦心実る」とありました。この记事を読んだ鹤代の感慨の描写は、学术研究というもの、そしてこの物语のメッセージを表しているでしょう。

「渡瀬正二郎が死んだとき、鹤代は深い絶望で打ちのめされた思いであった。もうこれで、壮太の発见に関心を持ち、それを証明しようと试みる人もないだろうと思った。だが、そうではなかった。やはり証しびとはどこかにいたのである。」

さて、『石狩平野』で描かれるエゾアオタマムシやキタサンショウウオの话は、フィクションですがモデルがあります。「渡瀬正二郎」は札幌农学校出身の动物学者、渡瀬庄叁郎(1862-1929)を参考にしていると思われます。エゾアオタマムシは渡瀬が1881年に発见したことになっていますが、実际は厂别尘别苍辞飞が1895年に记载论文を発表しています。キタサンショウウオも同様で、発见场所は同じく平戸前ですが、1954年に地元の小学生が初めて発见しているのが実际です。ちなみに「须贺博士」は须田金之助(1869-?)、「犬塚博士」は犬饲哲夫(1897-1989)から名前を拝借していると思われます。

本作には伊住次郎の他にも、加地康男、伊住夏树、笠间隆治、石畑达四郎が札幌农学校の学生として主要な役割を果たします。彼ら架空の人物だけではなく、実在の北大関係者も登场します(下记一覧)。北海道の歴史を描く以上、大きな役割を果たした北大が出てくるのは必然ではありますが、理由はそれだけではありません。作者である船山馨(1914-1981)の出自も関係しています。船山の母は下宿屋の娘で、そこに间借りしていた札幌农学校の学生との子が船山なのです。

『石狩平野』は、明治からの北海道の歴史にどのように「北大」が関ってきたのか、イメージを持ちたい方にはお勧めしたい一册です。

 

『石狩平野』に登场する実在の札幌农学校/东北帝国大学农科大学/北海道帝国大学の人物(登场顺。括弧内は生没年/登场の立场)

  • 调所広丈(1840-1911/初代校长?开拓使官有物払下げ事件)
  • 大田(新渡戸)稲造(1862-1933/2期生?刑余者保护会)
  • 足立元太郎(1859-1912/2期生)
  • 内村鑑叁(1861-1930/2期生?日露戦争反戦运动)
  • 宫部金吾(1860-1951/2期生)
  • 広井勇(1862-1928/2期生?小樽筑港事务所长)
  • 森源叁(1836-1910/第2代校长)
  • ウィリアム厂クラーク(1826-1886/初代教头?米国で死去し追悼式)
  • 有岛武郎(1878-1923/英语讲师?黒百合会?社会主义の研究会)

2024年7月19日追记

记事を読んだ照井滋晴さん()から、「须贺博士」は北海道大学出身で帯広畜产大学の芳贺良一(1927-1987)ではないかとの情报提供を顶きました。芳贺は犬饲の门下にあたり、1960年に上士幌町でキタサンショウウオを発见しています。

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2024.07.08

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