
颁辞厂罢贰笔とダイバーシティ?インクルージョン推进本部の连携企画、ロールモデルインタビュー贵滨碍础。
贵滨碍础とは、スウェーデン语で甘いものと一绪にコーヒーを饮むこと。
キャリアや进む道に悩んだり考えたりしている方に、おやつを食べてコーヒーでも饮みながらこの记事を読んでいただけたら、という思いを込めています。
第七弾は水产科学研究院の笠井久会さん。
ご主人と离れて暮らしながら结婚?出产?育児をしている笠井さん。
水产学部初の女性准教授として周囲の期待を背負いながらの単身での育児はどれほど大変なのだろうと思いますが、笠井さんから返ってきた言葉は「周囲の理解も得られ、子どもも健康、たまたま運よく仕事させてもらっている。恵まれていることに感謝して仕事を頑張りたい」でした。
【森沙耶?いいね!Hokudai特派員 + ダイバーシティ?インクルージョン推進本部】


高校生物で教わった常识を疑う面白さ
渔业や酪农など一次产业が盛んな地域で育った笠井さん。高校生の顷、バイオテクノロジーという言叶が取り上げられはじめ「トマトとジャガイモの融合みたいな作物ができることを知って、すごいことができるんだな」と思い、生物系に兴味を持ったといいます。
履修していた生物の先生から常识を疑う面白さを教わり、当たり前だと思われていることでも疑ってみて多角的な视点で物事を捉えることの大切さを知り、ますます生物系の分野に进むことを考えます。
「自分が纳得するまで実験でも调べ物でもやっていいんだ、ということは今の研究にも活きています」と笠井さん。
生き物に関わることを学びたいと北大の水产学部に进学。学部3年生の时に将来何をして食べていこう、と考えたときに资格を取って家业の事务所で働くことも考えましたが、学生実験で微生物の培养実験の面白さに出会い、その后の研究者人生へとつながっていきます。
「普通、贵重なサンプルとかだと実験で使ったらおしまいとか、どんどん减っていくので失败してしまったらもう使えないという紧张感がありますが、培养実験ではサンプルが増える。増えるって安心感があっていいなと思って」と培养の魅力に魅せられたといい、微生物の実験では翌日インキュベーターという细胞を培养するための実験装置を开けて、培养していた微生物が増えているのを确认するのが楽しみだったそうです。
微生物を扱う実験が自分に向いていると感じたことや、その学生実験の担当の先生が笠井さんの地元のサケの孵化场で研究をしていたので同行することになったことなど、様々なきっかけがあり鱼の感染症について研究する研究室に进みましたが、一番の决定打はその研究が社会に役立つものだったからだといいます。
「“いかに鱼に病気を起こさせないか”という研究は、その病気で困っている渔业関係者にダイレクトに研究成果を役立ててもらえます。直接社会のためになる研究であることが自分の気质にも合っていました」といい、今も笠井さんの研究室には谁かの役に立ちたいというマインドを持った学生が集まる倾向があるといいます。

准教授のポストへの応募と结婚について夫と议论
研究室配属后は修士に进学し研究を続けていましたが、修士2年生のときに指导教员から学振(研究费と生活费が支给される日本学术振兴会の特别研究员)の申请を勧められたこともあり博士课程进学を具体的に考えます。その后、学振の申请も通り、博士课程に进学。その后のキャリアについて具体的に考えたときに「実験も论文を书くのも苦じゃない、渔业者や他の研究者など人とコミュニケーションをとることも好きだったので向いているかな」と思い、明确に研究者を目指していったといいます。
当时、指导教员は教授として研究室を持ったばかりだったため先辈が少なく、博士课程の时には学部生の后辈の指导は笠井さんが担っていたといい「このときの経験は助手として採用されたときに活きました」と振り返ります。博士课程2年のときには、研究者としてこの先やっていけるか不安に思う时期もありましたが「できることとできないことがある、できることをきちんと积み上げていこう」と気持ちを切り替え、不安感への対処法を覚えていきました。この不安は今でも消えないといい、「この职を続けている限り消えないのではないか」と话します。博士号取得后、ポスドクを経て、助手に採用。このとき当时の水产学部にとって女性教员の採用は40年ぶりというタイミングでした。
准教授になるタイミングで结婚。それまでの任期付きの职から任期なしの职へ応募することで责任も増すことから覚悟を决めなければいけないと、当时付き合っていた后の夫と「公募に出す/出さない、结婚する/しない、でよく话し合いました」といい、结局公募に出して离れたまま结婚するという结论になります。
その决断は、夫は函馆には拠点のない会社で勤务しているため、函馆で勤务する笠井さんとは定年を迎えるまで一绪に住むことはないことを意味していました。このことについて「夫にも夫の家族にも反対されても仕方のない状况だったのに、みんな受け入れて応援してくれてありがたかったです」と振り返ります。
水产学部初の女性准教授として担う大きな期待
33歳のときに水产学部始まって以来の女性准教授として採用された笠井さん。女性教员の先駆けとして担った役目も大きかったといいます。
「切り开いていくことを周りから期待されているのがわかっていましたが、プレッシャーを感じ过ぎず明るくいようと心がけていました」と、研究関连の委员をはじめ、自治体の委员などの肩书のある女性が求められる场面への出席など、求められる役割にできる限り応えてきたといいます。
35歳のときに教授が退职。笠井さんの他に教员はいない状况になり、その后は笠井さんが研究室の责任者として运営していきます。その后、40歳のときに出产。产休や育休などの休暇期间は、试薬1本発注することもできない状况になってしまうため、育休は取らずに产休明けすぐに復职。復职直后は时短勤务にしましたが、翌月の给与明细を见てその少なさに愕然とします。「给与自体が减ることは覚悟していましたが、それまでフルタイムで働いていたときと同じだけ税金が引かれてしまい、かなり少なくなっていました」仕事の责任はそれほど変わらなかったこともあり、すぐにフルタイムに戻したといいます。
子どもが10ヶ月になるまでの期间に夫が半年间育休を取得、単身赴任先から函馆へ戻り、この期间だけ家族3人で暮らします。「夫が日中子どもの面倒を见てくれて、ご饭を作って待っててくれる。帰ってくるとき世のお父さんはこんな気持ちで毎日玄関のドアを开けるんだなと思っていました」といい、夫の协力や男性の育児休业の取得を理解してくれた会社への感谢は尽きません。
夫の育休が明けてからは子どもは保育园へ入园、夫は単身赴任先へ戻り、今は2週间に一度、週末に帰ってきて家族で过ごしています。平日は笠井さんと子どもの二人で、実家も远方かつ両亲も现役で仕事をしているためそれほど频繁に頼れないということで、普段は笠井さんがやりくりしながら子育てと研究を両立しています。子どもの体调が悪いときや外せない出张など调整が必要な场面は多々ありますが「自分の裁量で动けるというのがとても助かっています」と明るく话します。
いかに仕事に穴を空けないように考えながら过ごしているといい、そのような生活を负担に思っているかと思いきや「周囲の理解も得られ、子どもも健康、たまたま运よく仕事させてもらっている。恵まれていることに感谢して仕事をがんばりたい」と笠井さんはポジティブです。

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これを思いつくために教员になったんだ!と思えた研究の闪き
准教授になり10年ほど経ったころ、学会誌の総説を执笔しているときに研究人生で一番いい闪きに遭遇。「これまであんなに小さな町の出身者がなぜ北大の教员になったんだろうと思っていましたが、このときはこれを思いつくために教员になったんだ!くらいに思えました」とそのときのアイデアを元に特许を出愿、実用化に向けた动きも国や自治体、民间公司、大学等を巻き込みながら现在进行中ということで、今まで筑いてきた関係性をフル活用しながら全力で取り组んでいます。
「やらなければいけない仕事を今までずっとやってきたけれど、すごくやりたい仕事に出会い、しかも水产の现场に役に立つことなので、今はこれに全力で取り组んでいます」と今も周囲の期待を一身に受けながら走り続けている笠井さん。「20年后、定年になってどこで夫と暮らすのだろう、と今から楽しみです」と笑います。

贵滨碍础キーワード 【水产学部の女子学生比率】
