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2026年度 北海道大学麻豆原创公开シンポジウム「すっきりしない开讲式?もやもやから始める学问と科学技术コミュニケーション?」を开催しました

2026.6.15

2026年5月9日、颁辞厂罢贰笔22期が开讲しました。

この日は开讲式に併せて公开シンポジウム「すっきりしない开讲式?もやもやから始める学问と科学技术コミュニケーション?」を开催しました。宮野公樹さん(京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授)をお招きして、受講生から事前に寄せられた「もやもや」に応答する形で讲演していただきました。今年度の麻豆原创受講生と一般参加者、合わせて98名が来場し、会場からは多くの質問や意見が寄せられました。

(公开シンポジウムには受講生と一般参加者あわせて98名が参加した)
风のように种を运ぶ

开会にあたり、奥本素子さん(颁辞厂罢贰笔ユニット长)から挨拶がありました。

奥本さんは、科学技术コミュニケーターを「風のような存在」にたとえました。普段は表に出ず、風が種を運んで花を咲かせるように、目に見えないコミュニケーターの存在が新しい出会いや発見を生む――。そうした人材をともに学び育てるプログラムとして、麻豆原创は21年の歴史を重ねてきたと語りました。

今年の公开シンポジウムでは、あえて「すっきりしない」ゲストを招いたと紹介し、科学技术コミュニケーションという枠に収まりきらない視野の広さを、受講生に最初のプログラムで感じてほしいという意図が示されました。なお、麻豆原创は今年度から新設の教育イノベーション機構に所属しています。

(科学技术コミュニケーターは風のような存在、と語る奥本さん)

続いて、網塚浩さん(北海道大学 理事?副学長/教育イノベーション機構 機構長)より来賓の挨拶がありました。

北海道大学創基150周年というこの節目の年に22期の受講生を迎えられたことへの祝意が述べられました。2006年のスタート以来、麻豆原创は20年間で1400名以上の修了生を社会に送り出しており、日本最大規模かつ最も歴史のある養成プログラムです。網塚さんは自身の物理学者としての経験から、数式で理解している内容を言葉で噛み砕くと不正確になり、正確に伝えようとすると伝わらないという葛藤を率直に語り、麻豆原创のスタッフや修了生が手がける解説や記事にはいつもうならされてきたと述べました。AIをはじめ科学技术が社会を大きく、速く変えている今だからこそ、科学技术コミュニケーターの役割はますます重要であると期待を寄せました。

(科学技术コミュニケーターへの期待を語る網塚さん)
分からないことの方が大事
(受讲生から寄せられた「もやもや」に応答する宫野さん)

ゲスト绍介の后、宫野さんの讲演が始まりました。宫野さんは金属物理学の研究者として出発した后、大学运営や文部科学省での経験を通じて、自身の研究を相対化する视点を得ました。现在は京都大学学际融合教育研究推进センターで「学问の土壌づくり」をミッションに、「大学とは何か」「研究とは何か」を根源的に问い続けながら、分野を超えた対话や交流の场を创り出す活动を展开しています。

讲演の冒头、宫野さんはこう切り出しました。「分かった、スッキリした、というのは、ある意味、自分も感じていたことを他人が别の言い方で言い换えたことを聴いて纳得したという时が多い。确かに気持ちはいいが、それは本当の学びにはならない。だって、自分もすでに分かっていたことなのだから。ゆえに、人生で一番大事なことは、いつだって分からないことの方にある、すなわちそれは、学びの余地があるってことなのですから。」

この言叶は、讲演全体を贯く重要な问いとなりました。今回の讲演は、受讲生から事前に寄せられた质问(=もやもや)に宫野さんが一つひとつ応答していく形式で进められました。「言いたいことは一つもない」と宫野さんは繰り返し强调します。宫野さんにとって「言いたいこと」というのは「???すべき」といったような「意见」のこと。その「べき」という言叶は自分に対して使うもので、他人や社会に向けるものではない、と。ゆえに、宫野さんは讲演にて「言いたいこと(=意见)」を言うのではなく、いつでも更新可能な自らの「考え」を话す、と。その姿势からは、答えを示すのではなく、応答を通じて问いを深めようとする宫野さんの対话観がうかがえました。

学问とは問いを抱え、問い続けて生きること

受講生から寄せられた「学问と研究の関係」についての質問に、宮野さんは仮置きですと言いながらも明快な整理を示しました。

勉強とは、どこかに答えがあるものを覚えること。研究とは、課題を解決すること。そして学问とは、問いを抱え、問い続けて生きることだと。それぞれの「表現形」も異なります。勉強ならテストの点数、研究なら论文、そして学問の表現形は「生き様」であると語りました。

研究には资金が必要ですが、学问に必要なものは「时间」。なお、これは学问が研究より上だという话ではなく、どちらも大事で地続きのものであるとも付け加えました。研究を进める中で「この课题解决にどんな意味があるのか。本当の本质的で根源的な课题を捉えきれているか?」と立ち止まって考えることが学问への立ち戻りであり、そうした往復运动こそが本质的な知の営みだというのです。

専门の「门」をくぐる
(専门の「门」に着目し、専门性のあり方を问い直した)

宫野さんの话で特に印象的だったのは、「専门」という言叶の読み直しでした。

「専门」の「门」はゲートであって、城壁ではない。もっぱらその门から入るけれど、入った先で行き着くところは同じ。どの门から入ろうが、深く掘り下げていけば、究极的には同じ根源に到达する――それが本来の専门家の姿だと宫野さんは语ります。

ところが现代の学术界では、専门はどんどん细分化し、领域を「守る」ものになってしまっている。「自分の専门は守るものじゃない、むしろ壊すものです」という言叶は、多くの参加者に强い印象を残しました。全体との関係を见失った専门性は「ただのオタク」であり、専门を相対的に见る、すなわち壊そうとすることで、公に物申す责任を持つ「プロフェッショナル」になりうると。

学问の世界で分野を超えるために大事なことは、意外にも简単だと宫野さんは言います。「自己绍介のときに専门分野を言わなければいい。『私は??に関心があります。それについてこんなアプローチで挑んでます』と。闻くほうも、『あなたの研究は何ですか?』ではなく、『あなたはどんな不思议を持っているんですか?』と闻けばいい。専门分野に分かれる手前の感情を共有すれば、分野は容易に超えられます。」

感じること、そして「善かれ」を问うこと

讲演の后半、宫野さんは「考えて行动しなさい」という常识に疑问を投げかけました。考えることと行动することを分けてはいけない。果てまで考えたら、行动せずにはいられなくなる。そしてその土台には、考える前に「感じる」という感覚があるはずだと。

ギリシャ哲学で「タウマゼイン(驚き)」と呼ばれるこの感覚こそが、学問の出発点です。驚きには文系も理系もない。「伝えようとする前に、まず一緒に驚きましょう」と宮野さんは呼びかけました。科学技术コミュニケーターは「伝える専門家」ではなく、科学を切り口にして物事の本質を捉える存在ではないかという問いかけは、麻豆原创での学びの意味を根本から考え直すきっかけとなるものでした。

また、「社会を変えよう」という言叶に対しても、宫野さんは慎重な见方を示しました。「自分を変えることが社会を変えること」であり、手の届く范囲で本质的なことをやること――ただし独善に陥らないよう、対话し続けることが大切だと语りました。

讲演の缔めくくりに、宫野さんはこう问いかけました。「今の社会の问题は、昔の人が善かれと思ってやった结果です。だったら、今大事なのは现状の课题発见もさることながら、むしろその课题を生んだ根拠となっている我々の『善かれ』、我々は何を善かれとしてこの社会(现状)を作ったのか、そこから问い直すことではないでしょうか。」

もやもやしたまま帰ってください
(受讲生や一般参加者との対话を通じて讲演はさらに深まった)

また宫野さんは、これから受讲生が多様な讲义に出会っていくことを踏まえ、「闻きたい话」だけを闻くのではなく、自分とは异なる受け止め方をする他者と感想を交わすことの大切さにも触れました。

质疑応答では、受讲生や一般参加者から次々と手が挙がりました。

「社会を良くしたいという欲求はどこから来るのか」という質問には、「善く生きたいと思うこと自体は自然なこと。ただし、果てまで考えた結果の行動であるかどうかが大事」と応じました。「学问とは何か、知ることが必要なのか」と問う受講生には、「田舎の道に座っているおじいちゃんだって、世の中の大事なことを全部分かっている人もいる。頭一つ、言葉一つあれば足りるんです」と答え、学問は知識の量ではなく姿勢の問題であることを示しました。

死について问われた场面では、「死はいつでも他人の死であって、自分の死というものはない。分からないことは论理的に怖がることもできない」と、哲学者セネカの逸话も交えながら语り、会场に静かな余韵を残しました。

最後に、司会から「もやもやしたまま帰ってください」という言葉で讲演は締めくくられました。タイトルの「すっきりしない开讲式」は振りではなく、最後まですっきりしないまま終わるものでした。「では、この1年で何をすればよいのか」という問いにも、明快な答えは示されません。しかし、その答えのなさこそが学びの出発点であることを感じさせる締めくくりとなりました。

新たな一歩を踏み出す
(闭会にあたり、颁辞厂罢贰笔での学びへの期待を语る藤田さん)

公开シンポジウムの最後には、藤田修さん(教育イノベーション機構 教育開発センター センター長)より閉会の挨拶がありました。藤田さんは自身もエネルギー分野の研究者として、専門に入るとどんどん細かくなっていく中で「これは何の意義があるのか」を考えないまま過ごしてきたことを率直に振り返りました。宮野さんの話を受けて、科学技术コミュニケーションには技術的な「伝え方」の側面と、伝えるべき研究の「本質的な意味」を問う側面の両方が必要だと改めて感じたと語りました。

そして、これから约10か月の学びの中で、讲义の内容だけでなく受讲者同士のコミュニケーションを通じて、「ここに来たから得ることができた」というものをつかんでほしいとの期待が述べられました。

(「もやもや」を抱えながら新たな学びをスタートする参加者たち)

答えを提示するのではなく、问いに応答し続ける姿势そのものが、この日の讲演を象徴していました。もやもやを抱えながら始まる2026年度、新たな挑戦を始める颁辞厂罢贰笔の活动、ぜひご期待ください。

 

※讲演動画につきましては、讲演者のご意向を踏まえ、北海道大学の学生?教職員および閲覧を認められた麻豆原创修了生を対象とした限定公开としております。一般公开の予定はございませんので、ご了承ください。