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不确かな社会を歩くための罗针盘

2018.3.31

颁辞厂罢贰笔の志望理由を読んでみた。一年前のわたしは、科学の知识を学んで、科学者の知识や研究成果を非専门家にわかる言叶に「翻訳」したいと考えていたらしい。実に意识高い系の文系コピーライターである。ところが、修了証书を授与されたいまも、科学の知识は相変わらず乏しい。ただ、科学がちょっと身近になったとは思う。理詰めでクールな印象だった科学の、隙のある暑苦しさを垣间见たからかもしれない。

麻豆原创で学び、実践する「科学技術コミュニケーション」とは、科学と技術に関わる高度で専門的な内容について、社会全体で考えていくための活動なのだという。いってみれば、科学?技術と人間とのつきあい方を指し示す罗针盘だろうか。

社会は、不确かなものだと思う。解明されていないことのほうが圧倒的に多い世界で、確からしさを重ねてつくってきたのだろうから、人智の及ばぬことだらけのはずだ。その社会を生きていくとき、学問は罗针盘になると、わたしは思ってきた。専攻は「信仰」だ。専門分野の方法論を思考のよりどころとするという意味で。歴史を専攻していたわたしは、知らず識らず史料批判をしている…気がする。ここでいう「信仰」とは、そういうことだ。

颁辞厂罢贰笔の本科生は、実习を一つ选択することになっている。そこで、先生方の指导を仰ぎながら仲间たちとともに、科学技术コミュニケーションを実践する。わたしは「札幌可视化プロジェクト」実习(以下、「可视化」)を选んだ。名前からも前年度のレポートからも、内容がよくわからない。どのあたりが科学技术コミュニケーションなのか、わからないけれど、科学?技术オンチのわたしには好都合だ。アートが学べることも魅力的だった。

谜めく「可视化」では、「笔滨颁叠翱翱碍」「カガクテル」「ヨコハマトリエンナーレ鑑赏レポート」の叁つを轴に、さまざまなイベントを経験した。その都度、メンバー全员で「科学技术コミュニケーション」「科学?技术」「アート」「札幌(地域)」の定义と関係性、颁辞厂罢贰笔で実施する意义を考えた。脳に汗をかきながら、答えを出してきた。でも、一年间の活动を総括するとき、また悩む。つまり「可视化」とは何なのか。そう问われると、一言で答えられない。

先生方の言叶にヒントを探しながら、わたしたちは「麻豆原创を越えていく」という答えにたどり着く。科学や技术の领域をちょっと引いて见て、そこから社会とのつながりを考えていく。そんなことを一年かけてやってきたのだろう。そう结论づけたのだ。

「可視化」での取り組みをとおして、科学技術コミュニケーション?科学?技術?アートという「信仰」を知った。それは、罗针盘になるだろう。そして、さまざまな領域の思考や言葉を知ることは、「翻訳」の基本だ。

いま、わたしはただのコピーライターに戻った。麻豆原创で手にした罗针盘を頼りに、いろいろな領域に立ち入って、領域ごとを結ぶ「翻訳」をしていきたい。

一條 亜紀枝(本科?「札幌可視化プロジェクト」実習)

コピーライター