
著者:中谷内一也 著
出版社:20060700
刊行年月:2006年7月
定価:970円
私たちは,健康に悪影响をもたらす原因となる可能性のある,さまざまなリスクに囲まれて日々の生活を送っている。10年前には,「环境ホルモン」がマスメディアによって大きく取り上げられ,社会问题となった。「高病原性鸟インフルエンザ」の危険性が社会的関心事になったことも记忆に新しい。また,最近输入が再开され市场に出回り始めた米国产牛肉をめぐる,叠厂贰の问题もある。
こうしたリスクについては,メディアなどを通して,被害のみならず被害予测についての情报(リスク情报)も伝えられた。その结果,実态としての被害そのものではなくリスク情报が人々に不安をもたらし,その不安が,个人はもちろん社会全体に対しても大きな影响を及ぼす,ということが起きた。
たとえば「环境ホルモン」の场合について见てみよう。10年前にそれが问题视され始めたころは,精子数の减少など専ら生殖机能の异常にかかわる悬念が话题にのぼった。ところが话は次第にエスカレートしていき,アトピーや,础顿贬顿(注意欠陥多动障害),キレる子どもの増加など,子どもの心身の健康にも「环境ホルモン」が関係しているという主张が现われるようになった。さらに1998年,当时の环境庁によって,内分泌かく乱作用の可能性を优先的に调査すべき化学物质のリストが発表されると,そのリストに挙げられていた化学物质が,ポリカーボネイト製の食器やカップ麺の発泡スチロール容器から溶け出しているという话が発端となって,そうした製品の廃弃や不买行动が起きた。ところが今では,こうした动きは姿を消している。环境省も,「现状の环境中に存在する浓度では,ほ乳类に対して明确な影响はない」という见解を発表している。
この例からもわかるように,私たちは,リスク情报が生み出す不安や混乱に适切に対処していかなければならない。対処を误ると,あたふたと场当たり的なリスク回避行动に走って生活の质を不必要に低下させてしまったり,拙速に眼前のリスクを回避しようとするあまりに别のリスクを高めてしまったりする。
本书の着者である中谷内一也氏(帝塚山大学教授?社会心理学が専门)は,こうした事态を打开するために,「リスクのモノサシ」の採用を提唱する。
着者の考えでは,リスク情报に接して不安を感じること自体は,决して悪いことではない。问题は,「リスクの程度に応じた不安を感じ,个人の対応や社会の政策を引き出せるようにする」仕组みがないことだ。だから,リスクが「あるか,ないか」ではなく,リスクの「程度」を评価できる,谁にもなじみのある「モノサシ」を设定するのがよい,というのだ。
物の大きさを写真で示すときに,1円玉を并べて写しておくことがある。「甲子园球场2つ分の広さ」などの表现もよく耳にする。いずれも,よく知られたものとの比较で大きさを理解してもらおう,という算段だ。リスクについても同様に,「ガンによる死者」「交通事故による死者」など,多くの人になじみのある「リスクのセット」をモノサシとして用意しておき,何か新しいリスクが登场したときには,伝えたいリスクの大きさを,必ずこの「リスクのセット」のどのあたりに位置するものかを明示するようにしよう,というのである。
こうした「リスクのモノサシ」を作成し利用を促進していくことで,人々は,問題となっている個々のリスクがどれくらいの大きさなのかを冷静に判断することができるようになるし,社会全体としても,リスクを定量的に扱おうとする姿勢が生まれてくるだろう。著者は,こう主張する。 著者はさらに,リスクに対しパニック的な対応が生じないようにするためには,リスクを管理する人々(体制)への「信頼」も重要だと指摘する。そして,「信頼」が何によって決まるのかについて,社会心理学における伝統的なモデルと対比しつつ,著者独自の新しいモデル(主要価値類似性モデル)が有効だと主張している。
本书を手がかりに,种々のリスクに个人あるいは社会のレベルで适切に対処していく方途について,皆で考えてみたいものである。
立花浩司(2006年度颁辞厂罢贰笔选科生,千叶県)