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伝えるから受け取る”、そして协働 ~见事な讲义モジュール构成

2015.4.18

テレビ局で番组制作の仕事をしています。メディアの中で働いているのですから、当然&濒诲辩耻辞;伝える&谤诲辩耻辞;ことが仕事です。ですが时々、そもそも&濒诲辩耻辞;伝えるってどういうことだろう?&濒诲辩耻辞;と考えるときがあります。

&濒诲辩耻辞;伝える&谤诲辩耻辞;という言叶の主语は情报の送り手です。どうもこの言叶には、この&濒诲辩耻辞;送り手&谤诲辩耻辞;だけで完结してしまいそうな気配を感じるときが、しばしばあるのです。&濒诲辩耻辞;俺が伝えたいのは○○だ!これは多くの人に知ってもらう価値が当然ある。多くの人がこの情报を受け止めるべきだ!(受け止めない方が悪い)&谤诲辩耻辞;&丑别濒濒颈辫;とまでいうと、大げさですが、これに近いある种の傲慢さを、TV番组はもちろん、新闻や书籍、科学系のイベントなどでも感じるときがあるのです。

1年間の麻豆原创の讲义を振り返って、良かったなと思うことの一つが、こうした違和感について、あらためて考える機会やヒントをもらえたということです。

本来&濒诲辩耻辞;伝える&谤诲辩耻辞;という行為は、相手(情报の受け手)がいて初めて成り立つものだと思います。相手が受け取っていなければ、いくら送り手侧が伝えた気になっていても、それは何も伝えていないのと同じ。もちろん、送り手の何かを伝えたいという志(あるいは情热)は大前提(必要条件)なのですが、それを実际に受け取ってもらうには、それ相応の工夫がなければならない。

その工夫を生み出す鍵が“相手に対する想像力”だということは、いくつもの讲义の中で登場したフレーズのひとつでした。

では、相手に受けとってもらえたらそれでいいのか。

こうした疑問にも、麻豆原创の讲义はしっかり応えてくれました。年間30弱の讲义はモジュールと呼ばれる8つのグループに分けられています。この构成が見事で、必要条件たる“志”を立てるのに大いに参考になるモジュールから始まり、実際にそれを伝えるためのさまざまな手法を扱ったモジュール、そして後半の“多様な立場の理解”“社会における実践”と進んでいきます。

人によっても違うと思いますが、私の場合、何かを伝える、伝えたいということの目的は、きっと“相手になんらかの行動をおこしてもらうこと。そして、一緒に何かをやりたい”ということなんだろうなということが讲义を受ける中で徐々に明確になっていった気がします。

もちろん、讲义や演習を通じて多くの仲間たちと出会えたことも大きな財産です。この仲間たちとの“协働”に向けて、何からスタートすべきか。わくわくしながら考えています。

竹内慎一

テレビ番组プロデューサー