2020年度开讲特别プログラム「地つづきの果て」を、5月16日(土)13時半よりオンライン配信の形で开催しました。このオンライン配信では、今年度の受講生だけではなく、一般の参加者も含め577名の方が視聴し、麻豆原创の開講式で最も多くの視聴者を獲得することとなりました。配信に登場してくれたのは、世界を旅し続けてきた写真家のさんです。
新型コロナウイルス感染拡大に伴い、オンライン配信の形式になった今回の特别プログラム。见えるラジオを目指して、石川さんの写真と言叶を组み合わせた映像と共に、石川さんが自身の経験を语る形で配信されました。
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身体で世界を知覚する
今は东京にいる石川直树です。肩书きなどなしで、名前だけで呼ばれるほうがしっくりくるのですが、一年の半分以上を写真に関わって仕事をしているので、消去法でいけば、写真家と呼ばれるのが一番适切で、间违いがないかなと思っています。
とにかくいろんな场所をこれまで旅してきて、その过程で反応したあらゆるものの写真を撮り、文章も书いたりしてきました。子供のころから本を読むのがすごく好きで、小説からノンフィクションまで幅広く読み、それが础になっています。本を読むだけではなく、本の世界を自分の身体で体験してみたいという気持ちが芽生えて、中学生の时に青春18切符を使って四国へ一人旅をしたことを皮切りに、高校生の时には一人でインドとネパールを旅し、その后、ずっと旅を繰り返しています。その原点にあるのは、自分の目で见て、耳で闻いて、目の前にあることを体験して世界を知覚していきたい、理解していきたいという気持ちです。
二十歳の时に、初めて高所登山を経験しました。高所登山とは一般的に6千メートル以上の山を登ることを指します。この写真は、北米最高峰の山、デナリの顶上で撮影しました。カメラのファインダーを覗いて撮るものですが、この时は手袋をはずせず、ゴーグルなどもあって、ノーファインダーで撮影しました。帰国してフィルムを现像した时に、仲间の头の部分が写っていて、失败したと当时は思いました。しかし今振り返ってみれば、初めての高所登山でふらふらだったときのことを思い出すことができて、结构気に入っています。なので、自分の个展では、最初の一枚として展示したり、今回チラシにも使いました。写真は偶然が映り込むことが面白く、そうした予期せぬ映り込みを逆に大切にしています。
写真で记録する力
僕の写真は99%、フィルムで撮った写真です。プラベルマキナ670という中判カメラをヒマラヤでも、街でも使っています。1本で10枚しか撮れないので、ここで念のために多く撮っておこう、とか、いろんな角度から撮っておこう、とかそういうことが一切できません。なので当然ですが、一期一会で撮っていきます。天候待ちもしないし、曇っていたらその曇り空を撮ればいいだけだし、雨が降っていたら雨の光景を撮ります。多くても一つの场所で2枚くらいしか撮りません。
僕は、固有名词の山を象徴的に撮るようなやり方はしていません。エベレスト「を」撮るのではなく、エベレスト「で」エベレストと自分との関係を撮る、そういう心构えで撮っています。山の周りには人々が暮らしていて、标高によって変化する环境があって、积み重なって醸成した文化がある。そういうものも含めて、反応に任せて撮りながら、浮かび上がってくるものを写真集などで掬い取るような感覚でしょうか。
人物を撮影する际は、目の前の人々との适切な距离を意识します。近づきすぎるとびっくりされちゃうし、远すぎても信頼関係が筑けない、微妙な距离の取り方は今までの数多くの旅の経験から学んできました。
环境の変化も目の当たりにします。南极も10年ぶりに访れると、沿岸部には氷がなくなって、雪ではなく雨が降っていたりしてびっくりしました。北极の村も、今では村そのものが消灭しかかっている场所もあります。写真を撮っていたからこそ、そうした変化を比较できるわけで、写真というメディアが持つ记録性、その大切さについて、最近よく考えます。撮ったそのときと、10年后50年后で、意味が変わっていく。
北海道を撮る
北海道は、その先に続く北方世界への入り口と捉えています。初めて知床に行った时、流氷がびっしりと広がっている様子に心底びっくりしました。知床の斜里でトークイベントをしたり、廃校になってしまった朱円小学校で卒业アルバムを作るプロジェクトなどを通して、地域の人々と関わりができ、频繁に通うようになりました。「写真ゼロ番地知床」というプロジェクトを、地域の人と立ち上げたりして、多いときは毎月のように通っていましたね。知床は世界自然遗产で有名ですが、地域の暮らしや歴史という観点から知床を见ていくと、さらに色々なことが飞び込んできます。地元の人を交え、アーティストを招待してワークショップや作品制作をすることで、新しい知床の侧面が浮かび上がる。今年は映画监督の吉开菜央さんをお呼びして、映画を制作しました。その映画を今回もこの讲座でお见せしたいと思っていたのですが、今回のコロナ祸でかなわず、残念です。
知床にやってくる流氷の始まりを见るために、シベリアのマガダンまで行ってきました。この写真はまさに流氷が生まれる海岸の光景です。ドロッとしたシャーベットのような海辺が広がり、妙な物质感がある。北海道に人にとって「流氷」という言叶は身近かもしれませんが、世界的に见ても特にこの纬度で流氷が见られることは稀ですよね。流氷が国境を超えて自然の移动をつなげている、そういうことを想像しながら海辺に立つと、自分にとっての流氷の意味が変化していきました。
これは斜里町の森の中での一枚です。昔は道路だったところに、标识だけが残っています。开拓の歴史もあり、その前や后の过ぎていった膨大な时间を、ふとした瞬间に感じます。时间に自然が覆いかぶさっていくような光景は、过ぎ去った时间をわずかに可视化させる。
新型コロナウイルス感染拡大によって変わる日常
移动ができないことによって、身体だけでなく、自分の思考も滞留しがちでした。僕は歩きながら考えるタイプだし、旅が终わる时に次の旅のことを考えて、とずっと连锁しながら広がっていった人生だったので。移动していると思考が回転してどんどん新しいことを思いつく。でも、ひとところにとどまっていると、水でいうなら透明度がなくなるような、そういう感触がつらいですね。
今は、これまで読めていなかった本を読んだり、身近な自然に目を向けたり、自分の中に种をまいている时期だと思います。ただ、人间の动きが少なくなったことにより自然环境が生き生きとしているようなので、この期间が终わったら、外国も含めて力强くあふれるような自然を全身で浴びられるのを楽しみにしています。
科学技术コミュニケーションについて
颁辞厂罢贰笔は僕が学生时代にあったら、受けたいなと思える讲座内容ですね。僕は完全に文系の人间だったのですが、アートと科学技术の関係はもっと突き詰めて学べたらいいなと思っていたので。
世の中の多くのことは科学技术で代替できるようになってきましたが、自分の身体で知覚し、目の前の世界を受け止めていくこと以上に大切なことはないと自分は信じています。インターネットで少し调べて知っているつもりになるのではなく、自分の目で见て耳で闻いて身体で知る。言叶にならない惊きを大切にしたいですね。写真家は见ることが仕事ですから、见て见て、见続けた先に、ぽっと炎が出てくるような、自分の体を信じて、世界を肌で知っていってほしいし、自分は死ぬまでそういう生き方にこだわりたいと思っています。
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その他、COVID-19の状況に石川さんが送るメッセージを、开讲特别講義の一部から抜粋して配信します。






